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オンライン・サイレント・リトリート体験記〜マインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)〜

サイレント・リトリートとは?

サイレント・リトリートとは、マインドフルネスの瞑想を沈黙で行う場のことである。色々な瞑想を、休憩をはさみながら、分かち合わず、人と目をあわせず、自分に向き合いながら体験する。

今までも3回ほど経験がある。本格的なサイレント・リトリートの合宿は、5泊以上のものが多いが、私が体験したのはいずれももっと短い。

最初のリトリート体験は、依存症用のマインドフルネスの講師養成トレーニング(MBRP)で、去年5泊6日過ごしたときだ。そのうち、夜間と中日が一日サイレント・リトリートの時間があった。シアトル郊外の島ヴァッションアイランドの海や森、様々な光に彩られる自然と静かにふれあいながら、自分と向き合う経験ができた。最後に若干バックドラフト発生したが、貴重なリトリート体験だった。人付き合いでかなり消耗している点に気づいた。そして、心の底から、「自分も自然の一部だ」「ありのままでいい」「今までの体験はすべてつながって今がある」という気づきが心から得られて、得難い体験となった。帰国後は、1ヶ月くらいテンションが上がりっぱなしだった(汗)

教訓:自然とマインドフルネスの相性は最高である。

二度目のリトリートは、日本で仏教系のものに参加したが、これは合わなかった。まず、人が多すぎてパーソナルスペース(10畳に20名以上)がほぼないのが大変苦手だった。ガイドなし瞑想、というか座禅と歩行瞑想の繰り返し行い、午後は何も食べない(仏教系はそういうところが結構ある)・・宿は、男女共用ドーム。意図せず自分的には、トラウマ・センシティブの真逆の状態に身を置いてしまし、安全感の損なわれる様々な体験から、そうそうに帰宅した。

教訓:あわないリトリートもある。今後は、心のケアが手厚いMBSR系のリトリートに行く・・と心に決める。

三度めのリトリートは、マインドフル・セルフ・コンパッションのオンライン・リトリートであった。3時間ほど、講師のナタリーのガイドで、セルフ・コンパッションや、歩行・食べる瞑想などを行った。このときは、終了時、大変慈悲に満ちた気持ちになった。しかしながら、その後仕事を入れてしまったのが失敗で、その仕事で傷つきやすい心の状態の中、ぐさっと心に刺さる出来事があったのをニガニガしく記憶している。リトリートのあとは、ゆっくり過ごし、人とあまり合わないほうがいいと言われているが、なるほど「そのとおり」と実感した。

教訓:リトリートのあとは、仕事を入れないこと。人の辛辣さが、いつよもり何倍もぐさっと刺さる(涙)

というわけで、今回はマインドフルネスストレス低減法のオンラインコースのリトリート(オンライン)である。朝の7:00〜13:00まで約40分ほどの休憩もいれながら、ほぼ瞑想三昧の時間を過ごした。

 呼吸瞑想、歩行瞑想、ムーブメント、山の瞑想、慈悲の瞑想、聴覚への気づき、視覚への気づきなどを体験した。

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どんな道のりになるかの期待は登山と同じで、不安と緊張をわくわく。

最初の気づき:体調のこと

 朝の7時からの瞑想では、眠気とだるさを最初に感じた。そういえば、現在体調を崩しており、抗生物質を服用中である。それに苦手な朝・・ 瞑想したまま寝てしまおうかな・・といった気持ちもでてきたが、できる範囲で体験してみた。

 リトリートということで、緊張したのか、幼稚園のころから緊張すると感じる腹痛があった。それを、なんとか症状を消滅させよう!としている自分に気づき、そのままにしておいたらそのうち治った。焦って適応しようとし、修正しようとするのが自分の癖だと改めて気づいた。

 実は、結構具合悪かったのだ・・ということに気づいたのが最初のちょっと冴えない気づきであった(笑)

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安心感

 MBSRのクラスは、これで7回目であり、参加者のメンバーも顔なじみの人が多い。講師の先生も前からお世話になっているのりこさんなので、安心感があった。さらには、母国語の日本語でのクラスなので、安心感が増す。アウェイではない感じというか、ホームな感じ。

 サイレントリトリートといっても、オンラインなので、物理的な空間を共有して座るわけではない。しかし、カメラは原則オンにしておくという決め事のおかげで人の気配を感じながら、瞑想が進んだ。

 サイレントリトリートでは、この安心感重要なのではなかろうか? 仏教系のリトリートは、色々な意味で、自分にとっての安心感が損なわれたのが、耐え難かった。自らの内面に向き合っていくきつい場面もあるリトリートだからこそ、枠すなわちコンテイナーはコンパッションのある安全な包容力が必要と感じた。

 食べものについてだが、これもかなり安全感とかかわる。私はかなり交感神経優位タイプなので、お腹がすくとピリピリしてイライラする(爆)

 今回のリトリートでは、途中の休憩時にも、「今ご自身に必要なケアをしてください」ということで、私はグレープフルーツを頂いた。みずみずしく、普段よりも酸味や美味しさをフレッシュに感じながらいただくことができた。これ、幸せ。私のメンタルヘルスには、以前のような午後ご飯抜きで飢えに耐えながらの修行は無理であった。今後も、3食付きのリトリートに参加すると心に決める。

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囚われの出現と山の瞑想

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囚われや困難が出現しても、誰にも話すことができない・・そこにあるのは静けさのみ・・というのがなんだか自分のトラウマを賦活する様子。リトリートが怖いのはそんな理由があるのかもしれない。

ただ、今回のリトリートは「圧倒されるような体験」を体験した場合は、チャットで講師に話かけてくださいね・・との教示が事前にあった。それだけで、安心感が格段に増して、自分に安心して向き合うことができた。

休憩の途中から、囚われが増してきて、数日前の腹のたった出来事を思い出してしまい、動揺した。どうやら、すべての出来事を平和に維持しておきたいというような希望が自分にはあるようだ。慈悲の気持ちというより、言葉をかえれば、自分の思うように世界が回ってほしい、コントロールしておきたいという自己中心性があるのかもしれない。

休憩後、山の瞑想があった。山の瞑想とは、自分の呼吸を感じながら、今までみたことのある美しい山を思い浮かべ、自分がその山になるようなイメージをもって瞑想するものだ。季節や、時間帯、天気が刻々と変化しても、山はそのままの姿で本質を変えることなくそこにただ佇んでいる・・その山の威厳をわたしたちも取り入れる・・それがこの瞑想の意図なのだと思う。

よくキャンプに行くので、この山の瞑想は、ふもとっぱらというキャンプ場で何度も見た眼の前にそびえたつ「富士山ドーン」を思い浮かべた。このキャンプ場で、薄暗い時間の凍てつく寒さの中にみたブルーアワー、年に数回しか見えないダイヤモンド富士、真っ青な空にそこに佇む雄大な富士山、不思議な雲がかかってしまう日もあれば、全く雲で隠れてしまったり、雨で荒れることもある。ある奇跡的な夜には、くっきり天の川の見える満天の空のもと、富士山がどっしりとそこに佇んでいてわたしたちを見下ろしていた。様々な表情の富士山に抱かれてキャンプをしてきた。

周りの風景は変化するが、富士山という本質は何も変わらない。

山を前にして、人間自分ひとりの力がいかに無力かを知る。

どんなことが起きても、自分の思い通りにならないことが起きても、自分という本質は変わらない・・と気づいた。

もっと自分を信頼して、なにか風が吹けば飛んでいってしまうような脆さを、自信をもって大地に根付いた山のようにどっしり感じてもいいのではないか・・

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静けさと幸せ

リトリートも最終段階に入り、ムーブメントから慈悲の瞑想が印象的だった。前出の記事でも書いたが、動きで体が落ち着くと心も落ち着くのである。


アランの幸福論での、幸せになる方法の一つに「体操をすること」が含まれているが、そういうことかしら?。心と身体が、落ち着くだけでなく、幸せも感じるのである。こういったごくごく単純な行為の中にも、幸せは訪れるものなのだ・・としんみり感じる。

シャバーサナ(ヨガの死体のポーズ)に入りながら、のりこさんの慈悲の瞑想がはじまった。心も、体も満ち足りているときに、大切な人、自分、ニュートラルな人、そして苦手な人々にまで慈悲の気持ちを広げていく。

「あなたが幸せでありますように」

「あなたが健やかでありますように」

「あなたが安全でありますように」

「あなたが安らかでいますように」

その後の瞑想では、長時間瞑想したときにだけ得られる、静粛さと落ち着きを体験した。

静粛

瞑想をはじめるまで、この静粛さには出会ったことがなかった。どちらかというと頭も多動なので、いつも何か考え事をしたり、囚われていたり、心配後を考えていたりする。

瞑想をすると、心がシーンとして、幸せを感じることがあるのだが、リトリートのそれは普段よりもその段階が深い。静かで落ち着いており、これでいいのだ・・という感覚。対比するなら、物質を摂取したときの落ち着き(酒など)は酩酊感があり若干ゆれているような落ち着きなのだが、こちらの落ち着きは、早朝のシーンと澄み渡る湖面のような静けさなのだ。

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(双子池)

まとめ

というわけで、日曜日の午前中半日のリトリートの体験記を、ここで終わりにしようと思う。

まず、夫不在で、娘(小学校低学年)と二人という状況であったが、娘が辛抱強く13時までリトリートの間、時間をつぶして待っていてくれたことに、深い感謝。何度も話しかけにくる日もあるのだが、今日は奇跡的に大丈夫だった。

細心の配慮とプラクティス、シェアリングで素晴らしい時間を提供してくれた、のりこさん、よしこさん、同じクラスの仲間たちに感謝である。

その後は、予定もいれず、平和に過ごすことができ、ここ数日間の変化も楽しみに体験してみたい。

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