「撒かれた場所で咲いてやろう」と思った大学生活を振り返る。

この度、神戸大学 発達科学部 人間形成学科 心理発達論コースを卒業することが確定いたしました!(長い!)

改めてこの4年間を振り返るなどしてみようと思います。

入学前

引かれることを承知で言うのですが(いきなり)、

実は私が明確に大学の志望校を初めて固めたのは小学校3年生の時です。

当時は医者になることを目指していた私は、某大学の医学科を志望校にして、小3からストイックに勉強を始めたのでした…

おかげさまで6年後、本来の私の頭では到底及ばないような、偏差値の高校に合格できました。

よかったよかったと思ったのも束の間で、私の頭は実際はそこまで良くなかったのであっという間に授業についていくことができなくなり不登校一直線。一度は進学を諦めたものの、このまま諦めるのも癪だと思い一念発起。

猛勉強の末に神戸大学になんとか現役で滑り込んだのでした。

合格した時はもちろん嬉しかったし、これが私にできる精一杯だと思いました。

でも神大発達は、私が小3の時から目指していた学部ではありませんでした。

それでも不登校からの巻き返しで頑張った自分の努力は否定できないし、これが私の実力の精一杯なら、この場所で目一杯楽しんでやろうと思って、私ははるばる九州の故郷から神戸までやって来たのでした。

自分に実力をつけないと生きていけないと思った1回生

私が小学校6年生の時、リーマンショックがありました。

ニュースを良く見る子供だった私は、経済というシステムの中で歯車が一つ狂うことによる社会の混乱の様子を、とても印象深く受け止めていました。

その時に思ったことは、「社会で仕事をして生きていくのは本当に大変なのだ」ということと、「それでも私は医者になるのだから経済不況は関係ないのだろう」という浅はかなものでした。

ところがいざ大学生になってみると、私はもう医者になる道からは外れていました。

このままでは不安で仕方ない、もう社会に出るまで4年しかない。

その焦りを感じた私は、自分は何になるべきなのか、何を身につけるべきなのかを知るために、少しでも興味のある分野には首を突っ込んでみることにしました。

国際協力団体での発展途上国の教育支援活動、震災ボランティア、農業ボランティア、塾講バイト、その他諸々。

全て刺激的であり、全て発見がありました。

自分はクリティカルな問題解決ができる人間になりたいのだということ、社会的にインパクトを与えられるようになりたいのだということ、教育という分野でこの国を変えてみたいと思っているのだということ、人に価値を届けることに喜びを感じるのだということ。

全てこの1年の経験で分かったことです。

それらの発見を元に私は、自走可能で持続可能性のあるビジネスという手段の中で自分に実力をつけることができる長期インターンを、1回生の終わりからスタートさせました。

熱量の全てをぶつける経験をした2回生

大学2回生の間、私はベンチャー企業でのインターンを経験しました。

この時私は、サークル内で「本田は最近姿を見ないがもしかして死んだのではないか」と冗談で言われるほどに、インターンにのめり込んでいました。

熱量の全てをぶつけても足りないくらい、学びや新しい刺激がある環境が、本当に楽しかったし面白かったのだと思います。

本当に忙しい時は、2日おきに徹夜をするような生活でした。

徹夜で仕事をして、始発の電車の中で寝て、大学を1限から受けて、家によってシャワーを浴びて、また仕事に行く。

そんな生活をしていても、私は幸せでした。いろんなことを学べることが、本当に嬉しかったのです。

その努力が認められ、私は大学3回生から社員として働くことのオファーをいただいたのでした。

記憶も消えるほどしんどかった3回生

大学3回生で私は社員になりました。

午前に大学に行って午後に仕事をする。そんな生活が始まりました。

この1年の記憶は、今は曖昧です。断片的なエピソードは覚えていますが、大学2回生の時の方が良く覚えています。

それくらい、毎日自分が何をしているのか分からなくて、成長実感も全くなく、しんどい1年でした。

唯一印象に残っているのは、サークルの友達たちの優しさです。

この1年は、忙しい合間に一緒に遊んでくれた友達の記憶の方が良く残っています。

本当に良い友達に恵まれたと実感できたこの1年は、ある意味貴重だったのかもしれません。

楽しくて楽しくて楽しかった4回生

私は、何かで挫折した時に次のステップをアップにするかダウンにするかは選べるものだと思っています。

それは高校の時の不登校から逆転して大学に進学した経験で学びました。

3回生の終わり、私は会社を辞めました。

大学2回生の時にあれだけの熱量を注いだ活動を辞めることは、私にとっては大きな挫折でした。それでも、学校に行きたくなくて行きたくなくて本当に行かなくなってしまった不登校の経験と比べたら、まだ軽いと思いました。

さて次はどうしようかな、また普通の学生に戻って最後の1年くらい遊んでもいいな。どうせ授業も無いし卒論だけだし。これまで忙しかったしちょっとくらいのんびりしても良いかな。うーん。

そうだ。東京行こう。

せっかく暇になったんだし。もっとスキルアップできた方が良いし。これまで積み重ねてきたものをパーにするのも勿体無いし。

もっと最先端のところに行こう。関西には友達がたくさんいて甘えちゃうし。いっそガラッと環境を変えて、もっと上のことに挑戦してみよう。

こうして私は、最後の1年東京に居を構えて定期的にゼミや卒論のために神戸に帰るという、常識人が考えたら「体力的にあほやろw」と思わず言ってしまいそうな案をすんなりと採用したのでした。

結果としてこの決断は、私の人生を変えました。

初めて経験したed-techの世界は刺激的で学びがたくさんあって、色々な成長をすることができました。

あの時、あんな突拍子も無い発想をすんなり採用したあの時の私を、今は全力で褒めに行きたいです。

撒かれた場所で咲いてみた結果

咲けたのかどうかは分かりませんが、

本来行くつもりでも満足感のある場所でもなかった神戸大学にて、私は4年間自分のやりたいことを楽しみ続けたと思います。

結果として、私はこの大学に来て本当に良かったと思っているし、素晴らしい大学だと思っているし、素晴らしい街だと思っているし、素晴らしい人に出会えたし、素晴らしい経験ができたし、本当に本当に素晴らしい大学4年間でした。

今までの人生で、一番ワクワクして濃くてしんどくて楽しくて学びが多くて私という人間を根っこから変えてくれた4年間でした。

でもそれはきっと、私がそういう大学生活にしてやろうと思ったからです。

私はいつも、自分の人生のハンドルくらいは自分で切りたいと思っています。ただそれは意外と難しいとも。

こういう大学生活にしてやろうと思って、実際にこんな素敵な日々を過ごせたことは誇りです。そして、そんな日々を実現させてくれた友達や家族や会社の皆さまや全ての方々に心から感謝しています。

改めまして、大学進学を夢見てお勉強を始めた小学3年生のみなつさんへ。

大丈夫だ。君のそのさきの大学生活、予定通りにいかない事もあるしなんか色々あるししんどかったり嫌なこともあるけど、なんだかんだ人に恵まれ環境に恵まれ、最高な時間になるぞ。

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