ちょろりん



去年の冬、本当に短い間だけ恋人になった人がいる。
喧嘩することもなく仲は良かったのだが、残念ながらお互い仕事が忙しく、結局その恋は長くは続かなかった。
それなりに恋を重ねてきて、その人よりも長く深く付き合った人もいるので、本当ならすぐに忘れてしまうような瞬間だったのかもしれないが、短い間だけ恋人だった人と初めて手を繋いだ日のことを今も忘れられない。
というのもあまりにも幸せだったからだ。あの瞬間は紛れもなく幸福だった。
いい年をして手を繋ぐのが幸せというと笑われるかもしれないが、その人とは手を繋いだ瞬間が一番の幸せだった。
その時久しぶりに幸せとはどういうものなのか思い知った。
本当に幸せな時は、自分だけの世界に入り込むことができる。
誰とも比較することなく、というよりも周りが何も見えなくなって、自分だけの世界でただただ幸せを噛みしめることができる。
そういう瞬間がこれまでの人生で何回かある。
と言っても年に数回あればいい方だ。
滅多にないことなので、そういう瞬間は写真や文章に残さなくても自分の体が必ず覚えている。
その人と手を繋いだ瞬間は紛れもなくそういう体験だった。


ちょろりんと呼ばれる先生が高校生の時にいた。
なぜそんなあだ名になったのかは分からないが、みんなからちょろりんと呼ばれていた。
だからといって、生徒にバカにされているわけではなく、むしろみんなから尊敬されていたし、信頼されていた。
私自身もその先生のおかげで成績が上がったし、授業自体もとても面白かったので今でもいい思い出になっている。

ちょろりんは割と名言チックなことを言う先生だったが、今はどんな名言をいっていたか忘れてしまった。
ただ、一言だけ忘れられない言葉がある。
絵画に関する話題になった時、ちょろりんは
「美術館に行ってほとんどの絵は何も感じないだろうけど、ごく稀に一生忘れられないと思える絵がある。そういう絵と出会うことが財産で、そのために美術館に行く」
と言った。
美術館に行ったことがなかったわたしはピンと来なかったが、何故かその言葉が強く記憶に残っていて、社会人になった今でも忘れられない。


残念ながらちょろりんが言っていた、忘れられないような大きな衝撃を受けるような絵には今もなお出会えていない。
それでも彼が言いたかったことはなんとなくわかるようになってきた。
絵画だけでなく、人生には絶対に忘れられないような幸せな瞬間がある。
それは鮮明に記憶に残っていき、自分の人生に意味を足してくれて、その瞬間を思い出すだけで心が温まる。
そういう瞬間に出会うことが人生の醍醐味だ。
絶対的な幸福感を味わうために、なんでもない毎日を懸命に生きている。
どこでその瞬間が訪れるのかわからないので、その瞬間を逃さないように毎日懸命に生きるしかないのだ。
それだけ懸命に生きていても、やはりそう簡単には出会えない。
ただ、絶対的な幸せに出会ったことがあるという経験が、なんでもない毎日に希望を与えてくれる。

ちょろりんの言葉の本当の意味はわからない。
単純に絵画のことだけを伝えたかっただけで、私が拡大解釈しているだけかもしれない。
それでもなお、その言葉に出会えたことは大きな財産であり、紛れもなく幸せな瞬間だった。

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