第92回往復書簡 あばらや、17時30分
石田千 → 牧野伊三夫さんへ
水曜日は、すこし遠くのやおやさんにいく。
大通りをわたって、ヒマラヤ杉の公園をすぎたところに、おおきな枇杷の木のあき家がある。いつものように見あげたら、さっぱりばっさり剪定されていた。そうして、めがねをかけた少年が、垣根をつかんで、なかをのぞいていた。
先週きたときは、草ぼうぼうだった庭の草木も刈られて、よくみえなかった家の全貌が見えた。
ボールが入ったのときくと、ちがうといった。
……あばらやが、よくみえるから。
感じ入ったように、いうのだった。
おばさんは、蜂がこわいから、また歩こうとすると、あそこの電柱にすずめがさわいでいると教えてくれる。電柱のうえのほうで、すずめが出入りしている。きっと、巣があるんだね。そういったら、あんなところに住めるの。目をまるくした。すずめは、かしこいんだよ。それじゃあ、虫に刺されないようにね、ばいばい。
やおやさんには、食品もすこしあって、キャベツとにんじんと、音戸のじゃこを買った。まえに、おんなじじゃこを、立花文穂さんに、いただいたことがあって、とてもおいしいと知っていた。
広島でしか買えないと思っていたら、こんなに近くで買えて、うれしい。じゃこをぶらさげて帰るときは、立花さん、元気かな、ワインのみすぎてないかな、それから音戸の舟唄を黙唱しながら歩く。
きょうは、銀行にいくので、水曜日とは正反対の方角に、坂をおりていく。大通りを避けていくと、ここにも、ちいさな公園のまえに、あき家のお屋敷がある。きょうは、いつも閉まっている庭の門があいていた。職人さんが三人、剪定をしていた。そうして、なかをのぞく子どもも、三人。
……あばらや、広かったんだねえ。
……すげえ、金持ちなんだよ。
女の子たちがいって、さいごに男の子が、住んでみたいといったら、ふたりは、いやだ、おばけがでるよ、きっと。そういって、公園に駆けていった。
水曜日の少年と、金曜日の三人組、みんな、あばらやなんて言葉を、よく知っているなあ。
おばちゃんは、どっちのあき家も、相続でもめているのかなあとか、そのうち更地なって、いくつかのおんなじかたちの家になったり、マンションになったりするんだ。せちがらいことを考えていた。
あばらやということばは、物語を読んで知っていたのかもしれない。あのお屋敷におはなしのなかのあばらやをかさねて、あれこれ想像していたのかもしれない。ちいさいころは、そんなこともあった。あばらや。ことばの長寿がうれしい。
帰ってきて、あれこれかたづけて、干していったスポンジをとりこんで、スポンジもったまま、しばし虫の声をきいた。
夏休みも、もうすぐおしまい。
あばらやに子らの声きく夏休み 金町
(8月20日金曜日)
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