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第68回往復書簡 足立山(日記と手紙)

牧野伊三夫 → 石田千さんへ

サボテンの花

 机のうえのサボテンのトゲのところに、小さな赤い斑点がぽつんとあった。春風でなにか埃がとんで着いたのかと思い、取ろうとして目を近づけてみると、蕾だった。五年ほど前に一度花を咲かせたことがあったが、それ以来、二度目の花だ。これといった表情もなく、日々無口にただじっとそこにいるだけの地味な植物だが、その花は華やかで色気があり、まるでブラジルのサンバカーニバルのようだ。僕は苔なんかも好きで、小学生の頃は岩にはやして毎日じょうろで水をやっていた。植物は、動物や昆虫のように歩き回ったりしないけれど、じっとひとところにいて、生命を育んでいる。
「おまえ、どこかへ旅したいとか思わないのか」
 聞いてみても、何も答えない。
 そういえば、このあいだ晩酌のときにイチジクの枯葉と枝を七輪にくべてもやしたら、部屋にイチジクの香りがした。もし家に暖炉があったら、こんなふうにちょっと煙ったなかで過ごすのかなと思いながら酒を飲んでいた。
 昨年の夏、枝をのばして葉を繁らせ、庭の向こうのまぶしい外灯の光をさえぎってくれたイチジクだ。秋が終わると、グローブのような大きな葉を落として、枝だけになった。近所にも家の庭に大きなイチジクの木を植えている家があって、葉を落とす頃に横に枝を伸ばすよう上の方の枝を剪定していたので、僕はそれを真似て枝を切ることにした。少し暖かくなってもう芽つけているが、今年の夏はどんなふうに葉を繁らせるのかと楽しみである。

「サボテンの花」図版


湯仏

 福岡でデザイナーをしている梶原道生君から、河原に沸く温泉につかっている仏様の絵を描いてくれないかと依頼がある。梶原君とは、まだ僕が二十代半ばの頃からの長い付き合いである。彼の郷里である大分県の天ケ瀬温泉の町が昨年夏の豪雨で大半を流され、いま地元の人たちと復興のためにさまざまな取り組みをやっている。ついては、その復興のシンボルとなるマークを作りたいというのである。なんでも、その昔やはり大水があったときに、川上から流れてきた仏の姿に見えるいう石を、この温泉町を見下ろす山の上に、町を見守ってもらうよう祀ってあるらしい。
「温泉マークに仏様の姿が重なったようなのとかどうですか」
 梶原君は明るく笑っている。そして、可愛らしくて、お洒落なものがいいですね、なんていう。僕は、まったく想像することができず、ひとまず、その仏様の資料を送ってもらうことにした。ところが、その仏様というのは、なんというか、顔も手もない細長い苔むしたただの石のようなものであった。
 頼まれれば、たいがい何でも描く方だと思うが、これは、かなり難易度が高いぞと少々あせった。そもそも仏様が気持ちよさそうに湯につかっている姿など、想像してみると奇妙な光景である。どうやって描くかと首をかしげたり、ため息をついたりしながら描いていたのであるが、先日、なんとかできあがった。

「湯仏」挿絵

 (3月8日月曜日)

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