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第91回往復書簡 足立山(日記と手紙)

牧野伊三夫 →  石田千さんへ

  台所カクテル

 床につくまえに、ポートワインだとか、黒ビールだとか、なにかやわらかい酒を一杯のもうと思ったが、あいにく家に置いてなかった。仕方なくスコッチを炭酸で割ったのを舐めて寝ることにしようとあきらめていたら、台所に料理用に買ったスクリューキャップの安い赤葡萄酒があるのを見つけた。味見してみると、決してうまいとはいえないが、ほどよく酸化して落ち着いた渋みがある。思いつきでコップに注いだあと、味を複雑にしてみるかとスコッチを少し落としてみた。すでに酔っぱらっていたのでなんともいえないが、これがなかなかうまい。そんなわけで、昨晩は、なんとかいい塩梅の寝酒にありつけた。


  塩そばやの壁画

 福岡県の糸島半島は、僕の母の生まれ故郷だ。大昔、ここには王国があったらしい。美しい浜があってのんびりした景色がひろがっている。母がこの町の小学校に通った頃、夏休みがあけると「くろんぼ大賞」というのがあって、一番まっ黒に日焼けした児童が表彰されたという話を聞いたことがある。母は昭和十五年生まれだから、戦後間もないころの話だろう。
 その糸島半島に塩田を作り、塩づくりをしている平川秀一さんという人がいる。福岡は塩づくりがさかんではないが、海水を乾燥させるために適した南向きの海岸を見つけ、自分で重機など操って小屋を建てて始めたらしい。海外の和食屋でしばらく働いていて、料理に用いる塩がいかに大切かを知り、自ら作ることにしたそうだ。平川さんの作る塩は「またいちの塩」という名で売られ、最近、地元の食通の間では評判だ。「またいち」というのは、平川さんのお父様の名前なのだが、塩づくりをはじめたのは平川さんだ。おいしいと思えるものを教えてくれた親への感謝の気持ちをこめてこう名付けた。
 それにしても、塩を作ろうなどと考えたこともない僕にとって、いまどき塩田を作る人がいるなどというのはまったく驚きだった。真夏に大汗をかきながら大量の水をのみ、大変な思いをして塩をつくっているという話を聞かされたとき、正直、どこかでいい塩を探せばよいのにと思っていた。
 平川さんを紹介してくれたのは、福岡の美術大学でコミュニケーションデザインを教えている旧友の伊藤敬生さんだ。ある催しの会場で、糸島の海でおいしい塩をつくっている方だと平川さんと引き合わせてくださったのだ。その後すぐに、塩川さんの塩田へぜひ一緒に行きましょうと、塩田の写真や塩を送ってきた。伊藤さんは僕より三つ年上で、昔から、面白い人がいるとなぜかこんなふうに会わせようとするのである。そして、そのときかならず「牧野さん、絶対好きだと思う。」と言う。これが、少々くやしい気もするのであるが、いつも的を得ていて、おかげでこれまで素敵な人や場所にずいぶん出会うことができた。
「またいちの塩」はうまくて、僕はたくさん用いる料理などには使わず、酒の肴の冷やしトマトやチーズなどにちょびちょび大事に使っていただいていた。そして、海岸にある丸太をむき出しにした、いかにも自分の手で建てたという塩田の素朴な建築も実に風情がある。なんだか、島に漂流した人がそこらへんの流木を集めて建てた小屋のような雰囲気だ。人間の生々しい生活ぶりがあふれでており、実に魅力的なのだ。僕は送られてきた写真を見て、この塩田のある景色を描いてみたいと思った。
 その平川さんが、自分の塩を使った塩そば屋をはじめることになり、春頃、伊藤さんから何か手伝ってほしいと連絡があり、いろいろ話していて、壁画を描くことになった。改築途中のこの店もまた、古い木造の家を改装した懐かしい雰囲気のものだった。大きな木のある庭には、提灯をさげてビアガーデンも作るという。壁画の大きさはタテ二、七メートル、ヨコ四、七メートルで、足場を作って描かねばならないだろう。なかなかの大作で、僕は佐賀の和紙の工房で特注の大型の紙を漉いてもらって水墨画を描くことにした。テーマは、「太陽と海、風」。母の生まれ故郷の町へ行って絵を描けることもうれしく、さっそく習作にとりかかっている。本書きは箒のような筆でのびのび描くつもりだ。
 ところが、この状況である。店は十月に開店する予定であるが、もしかしたら糸島へ行けず間に合わないかもしれない。そうなったときのために支持体となる和紙をまるめて東京へ送ってもらい、アトリエの家具などよけ、床いっぱいに和紙をひろげて描くことを考えたのだが、巻き尺で計ってみるとアトリエの床が和紙より狭いことがわかった。さぁて、どうしたらよいものか。
 (8月17日火曜日)

「おしのちいたま」壁画 習作

         「おしのちいたま」壁画 習作

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