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恋が崎伝説

むがぁし昔のごった。
 原の村西(むらにし)がら赤井(あかい)谷地(やじ)の北まで細長え湖があってな、これを上ノ湖(かみのうみ)ど呼んでだんだど。それがらもう一づ、今の猪苗代(いなわしろ)湖(こ)さつながる崎川(さっか)の辺りを中ノ湖(なかのうみ)ど呼んで、二っつの湖を隔ででる山々んどごを合いの山って言(づ※)ってだんだど。オラが子めらん時のごど思い出してみっと、田んぼが基盤整備される前は、湊はどごもかしこも谷地(やじ)っ田ばっかだったがら、上ノ湖(かみのうみ)、中ノ湖(なかのうみ)も含めで昔の猪苗代(いなわしろ)湖(こ)は、今よりもずーっと広えがったんだべなぁ。


 さで、話続げんべな。

 上ノ湖(かみのうみ)さ西南の方がら流っちぇくる川に五郎滝(ごろうだき)っつう滝が懸がってる辺りに、山の長者が住んでだんだど。それがら、合いの山を越えで東の中ノ湖(なかのうみ)のほとりには、湖の長者が住んでだ。 山の長者んどごには五郎(ごろう)っつう立派な跡取り息子がいでな、湖の長者の方には静姫(しずひめ)っつう大した美しい一人娘がいだんだど。
二人は近在で評判の若者だったがら、互えに関心持ってだんだべな。いづしか五郎(ごろう)ど静姫(しずひめ)は自然と惹(ひ)かれ合うようになった。だげんじょも、どっちも家の跡取りだがら、それは決して結ばれっごどのねえ恋だった。長者の家さなの生まんにぇがったら嫁さも行がっちゃし、婿さも行がっちゃのにつて、二人は誰もが羨(うらや)む家柄せえ恨(うら)んだど。五郎(ごろう)は、家の者にも村の者にも見(め※)っかんねように、毎夜毎夜隠れながら上ノ湖(かみのうみ)を丸木舟で渡り、静姫(しずひめ)は合いの山を西さ越えで、二人は森の中でせつねえ逢瀬(おうせ)を重ねった。

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そのうぢな、姫は元々、天人天女でねえがって思うぐれえの透き通るような美しさがあったんだげんじょも、何が障(さわ)りでもあったんだが、その白さがどんどん増してって、そのうぢ世間さも隠さねっかなんねような重い病(やまい)の兆(きざ)しが現れできたんだど。
 お父(ど※)っ様(ぁま ※)もおっ母(か)様(さま)もそれど気付いで山陰の森の中さ庵(いおり)を建でで、そごさ姫を独りで住まわせ、気が向ぐままに糸を紡いだり、機(はた)を織(お)らせるなどして慰(なぐさ)めったど。んだげんじょ、庵(いおり)を建でだ所(どこ※)は、姫が密かに五郎(ごろう)と逢瀬(おうせ)を楽しんでだ場所だったんで、ちーっとも淋しくねがった。五郎(ごろう)もまだ、姫が病気なのを承知で通い続けったど。
 とごろがある日のごどだ。上ノ湖(かみのうみ)の西っ手の村のテェが、村人足でもしてっ時だが畑仕事でもしてっ時だが、合いの山を見っと、大蛇が森の木の上をうねりながら日向(ひなた)ぼっこしてんのが見(め※)えだ。
 「おい、あれ見ろ! あんなどごに大蛇がいっつぉ!」
 「ああ、ほんとだ! 大蛇だ!」
 「なんつぅ恐ろしんだ!」
そう言(づ※)って村中大騒ぎどなって話は忽(たちま)ぢ広がり、五郎(ごろう)の耳さも入(へ※)ってきた。五郎(ごろう)は姫が日増しに美しぐなり、親ども別っちぇ森の中さ住むようになったのは、病どは偽りで、俺の体をむさぼり尽ぐすために大蛇が化げだものだったのが、ど思った。そして、これまで姫を恋しぐ思ってだ気持ちを恥ずがしぐ思ったばがりが、大蛇の化身(けしん)にとりつかれったごどに恐れおののぎ、世をはかなんで滝(たき)壺(つぼ)さ身を沈め、死んでしまったど。
 これを人伝(ひとづ※)でに聞いだ静姫(しずひめ)は、愛(いと)しい五郎(ごろう)がいなぐなった世に、これ以上生ぎ永(なが)らえでも悲しさが増すばっかりだ。それにこれより先、病がさらにつのれば世間にも知られ、お父(ど※)っ様(ぁま ※)にもおっ母(か)様(さま)にも相(あい)済(す)まぬ、ど決心したど。そうして静姫(しずひめ)は闇夜(やみよ)に紛(まぎ)れで山また山を越え、石動木(ゆするぎ※)、舟木(ふなぎ※)、打越(おっこし※)、居穴(やあな※)、沼上(ぬまがみ)ど五ヵ村も越えで本湖(ほんこ)、猪苗代(いなわしろ)湖(こ)の深い断崖(だんがい)さ辿(たど)り着き、北の浦さ身を投げで五郎(ごろう)の後を追ったんだど。静姫(しずひめ)が身を投げた崎は、いづしか「恋が崎」ど呼ばれるようになったんだ。
 静姫(しずひめ)が大蛇の化身と間違えらっちゃのは、実は姫が、織った布を染め、森の枝に掛けて天日(てんぴ)に広げで乾(かわ)がしてっとごを、遠ぐの対岸から眺(なが)めだ村人達が、大蛇の日向(ひなた)ぼっこと勘(かん)違(ちげ※)えしたためだったんだ。


それがら、姫の病っつうのも今で言う結核、昔は不治(ふじ)の病って言わっちぇだ肺病だったんだべな。肺病にかがった人は色が白くなって、美人にはこの病気さかがる人が多いなんて言わっちゃ時代もあったがら、「美人(びじん)薄命(はくめい)」なんつう言葉もそんなどごがら生まっちゃんだべな。
 それがらな、姫が庵(いおり)を結び、機(はた)を織(お)ってだっつう岩山を、地元の人達は今も「機織(はたおり)御前(ごぜん)の岩山」って呼んでんだ。

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