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私にとっての特別と先生の普通

私は地方の国立大学を卒業している。

noteを利用している方になら、察していただけるような気もするけれど、これは自慢でもなんでもなく、興味のある学部があって、入れる大学に入ったら、地方の国立だったというだけの話だ。

誤解を恐れず書くと、真面目でコツコツ勉強ができるタイプなら、地方の国立なら入学できると思っている。一生懸命勉強した自分を卑下するつもりもないけれど(だってやっぱり勉強しなきゃ入れないし。下手に謙遜するのも失礼な気がする。)、取り立てて頭が良いわけではないというのは述べておきたい。

入れる大学に入ったらと書いたけれど、田舎のごくごく普通の会社員だった両親が、私たち姉弟3人の進路について出した条件が次のようなものだったのだ。

「高校卒業後進学したいのであれば、短大か専門学校。私立の四年制大学だったら家から通えるところ。一人暮らしするのであれば国公立。」

これを読んで、酷いと思う人もいるかもしれない。ただ、当時の私たち三姉弟はごく当たり前のこととして受け入れていた。田舎は不利だなとは思ったけれど、両親に対してどうこうという感情は基本的に無かった。大学に行きたいなら、ちゃんと勉強しなきゃいけないんだな、とそんな感じ。両親が出した条件も大学のレベルがどうこうとか見栄がどうこうと言う話ではなく、純粋に経済的な問題からだと理解していた。

まぁ、指定校推薦で早々に受験勉強を終了させる同級生や、「数学苦手だから…。」と言えてしまう同級生に「ケッ」という捻くれた感情が湧かないこともなかったけれど、そのくらいは許して欲しい。だって高校生だし。

そんな訳で、田舎で国立を目指し受験勉強に励んだ高校生活だったけれど、田舎故に、予備校なんてものもない。

その代わり、高校の補習がとても手厚く、予備校以上だったのではないかと今でも思っている。

その中で1番思い出に残っているのが、地学担当のH先生だ。

H先生の補習はスパルタで、誰も質問に返事をしないと「やる気がないのなら終わりにする。自分は部活の顧問もやっているんだから。やる気のない人に付き合っている時間はない」というスタンスだった。

思い出してみて欲しい。貴方の周りで、高校時代、地学を選択した人はどのくらいいただろうか?そしてその中で、受験科目に地学が入っていた人はどのくらいいただろう?

必然的にH先生のスパルタ式補習は参加者も少なく、数少ない参加者も次第に脱落していった。当時、本気で補習を受けていたのは私も含め3人しかいなかったように思う。

ただ、だからこそ地学補習チームとしての絆のようなものを感じていたし、H先生には担任以上にいろいろな相談をしていた。

センター試験で思うような結果が出せず、第一志望どころか第二志望も第三志望も危ないかもしれないとなった時、親身になって相談に乗ってくれたのもH先生だった。

「A大学もいいと思うけど、二次試験の科目を考えると、B大学も十分合格圏内だ。」「浪人するのもいいと思う。だけど、自宅浪人は精神的にきついと思う。苦手な数学だけでも予備校に通ったらどうか。部活の卒業生で実際に通っている子がいるのは…」などなど担任ですらない私のために時間を作ってくれた。

そして迎えた二次試験。私は第一志望とはいかないまでも、納得のいく大学に合格することができた。

この時も、担任よりも先にH先生に報告した。内容は覚えていないけれど、たぶん「合格すると思っていたよ」的なことを言ってもらえた気がする。私も月並に「本当に先生のおかげです。ありがとうございました。」なんて言った気がする。

とまぁ、恩師のように書いたものの、私とH先生の関係は高校卒業と同時に途切れる。卒業後も連絡を取り合って…などということもない。

私は大学卒業後数年間を塾講師として生きることになるのだけれど、自分の生徒の進路相談をする中で、ふと思い出す程度だった。

しかし、私はひょんな所でH先生と再会を果たす。

それは弟の結婚式だった。私が高校を卒業して、10年は経っていなかったと思う。

実は弟の結婚相手が私と同じ高校出身で、H先生が顧問をしていた部活のOGで、結婚式に招待されていたのだ。

世間は狭いなーと思いながらも披露宴で挨拶をしにいくと…


H先生は私の事を全く覚えていなかった。

…こんなことがあって…といろんなエピソードを伝えても、思い出してもらえなかった。

…。

…………。


このエピソードを話すと、大抵「うわっ、湊ドンマイ」となるのだけれど、私の感覚は全く違う。


…ごめんなさい。ちょっと強がりました。やっぱり多少ショックでした。


ただ、それ以上に「この先生すごいな」と思ったのだ。


だって、私だったらあれだけ面倒見てあげて、合格させた生徒がいたら、絶対「どや。」って覚えている。

それを覚えていないということは、H先生にとって、私にしてくれたことは何一つ「特別」なことではなかったということだ。

「当然のことをしたまでです」を地で行っていただけなのだ。

「いやぁ。生徒に『先生のおかげで合格できました!』とか言われたら有頂天になって、絶対覚えてるでしょ。だって、それがやりがいじゃん!」当時塾講師をしていた私の、正直な感想だ。

ただ、本来はH先生のようにあるべきなんだと思う。

過去の自分への自戒も込めて書くが、「先生」と呼ばれる職業は、自分が他人の人生に大きな影響与えられると思い込みやすい。

ただそれは間違った方向に助長してしまうと、感謝されるために行動する、自己承認欲求を満たすために行動する、ということになりかねない。

口では「子供たちのために」と言いながら。


H先生にはそれが無い。

シンプルに、凄い人だなと思った。


塾講師を辞めた後も、私はなんだかんだ子供と関わる仕事をしている。自分で言うと非常に嘘くさいけれど、面倒見は良い方だと思うし、ありがとうございます、と言われることも多い。

いやぁ、それほどでもと調子になりそうになるたびにH先生を思い出す。

子供の手助けをするのは、特別なことでは無い。

記憶に残らないくらい、自然に行うこと。

それを教えてもらった。


だけど、そのことを教えてくれたH先生は、やっぱり私にとって特別な先生なのだ。

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