楽しみの摂取

三連休、特に予定がなかったのと、とある事情で安くホテルに宿泊できるということで、ちょっと車を走らせて海辺のホテルまでやってきた。もちろんひとりだ。

今は、缶ビールをちびちび飲みながら、この記事を書いている。

ひとり旅は初めは苦手意識があったものの、いつの間にか慣れてしまった自分がいる。ひとり旅は、景色の美しさや料理のおいしさを仲間と分かち合えないといった寂しさはあるものの、気楽だから僕に合っていると思う。

新型コロナウィルスの影響もあってか、三連休の中日という好条件であるにも関わらずすんなり予約ができた。


美味しい食事を食べビールを味わい、海を臨む露天風呂に浸かりながら波の打ち寄せる音だけを聞いた。日常からすこし離れ、心落ち着く時間を過ごすことができた。

ひとりでご飯を食べていると、アルコールを摂取していることもあって、考え事が捗る。

今日のテーマは、楽しみの摂取についてだった。


今食べている食事代、今日過ごす宿泊代は、僕が慎ましく過ごすための何日分に相当するんだろうか。そんな不毛なことを考えてしまった。本当に、自分はひねくれものだと感じる。笑

僕が今ホテルに来ているのは、年度末の多忙さに心身が疲れはじめていると感じたから、自分のご褒美にと、週明けからの活力になればとの思いからだ。

ただ、どうなんだろう。この「楽しみの摂取」のためにかかるお金は、お金を稼ぐために働いて得たものだ。

これって、無限ループじゃないのか。極論、省エネモードで働いたり、もっと楽だと思える仕事で働けばこの楽しみの摂取はせずに済むのではないか。


でも実際はそうではなくて。生きるためのお金を稼ぐために働く。生きるためには生きがいがなくちゃ張り合いがなくて、そのために楽しみを見つける。働くのはその楽しみを摂取するのにかかるお金を稼ぐためでもあるのだ。そして、その楽しみの摂取が、働く活力にも繋がるのだ。

んー、上手く表現できている自信はないけど。決して働くためだけに楽しみを摂取しているわけではない、ってことなんだろうな。

そして、働きに対する楽しみの摂取量は人それぞれ違うということも、忘れちゃいけない。違っていいんだ。

ちなみに僕は燃費が悪い人間なので、すぐに疲れるし、すぐにそれなりの楽しみを求めてしまうんだけどね。

ゆくゆくは燃費性能がよくなるように、いろいろ考え方も変えて「生きやすく」なっていければいいな。



まあ、深いことは考えずに、楽しむときは素直に楽しむのが一番だよね。

ということで、もう世も更けてきたので、寝る準備をすることとします。

旅館や観光ホテルの朝食、楽しみなんだよね。あと、朝食前の朝風呂もね。

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