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幻視

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記事一覧

夜の美術館

 真夜中の美術館には人が少ない。けれど、全くいないわけでもない。守衛の人と絵描きの彼女がいる。
 彼女は守衛の人にもらったコーヒーゼリーを食べていた。北海道産の生クリームを使用したクリーミーソースと褐色のゼリーを混ぜて、透明の小さなスプーンで口に運ぶ。むぐむぐする。むぐむぐしながら適当な壁に背中を預け、ずり落ちるように床に座った。コーヒーゼリーを半分ほど減らしてから、斜めがけにしていた鞄を漁り、絵

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銭湯帰り

 冬の家風呂は寒いので銭湯にいった。戦闘ではなく。それも体が温もりそうだけれど。
 脱いだ服をロッカーに入れ、鍵つきの白い輪ゴムを手首に嵌める。浴室の戸をからから開けると、白い湯気がゆるりと流れ出てきて、ほのかな水気とやわらかな温かみが身体を包んだ。桶に汲んだ湯船のお湯を足首に垂らすように掛け、もう一度汲み、肩から下の身体を濡らす。濡れた手でお湯をかき混ぜて、ちょうどよさを確かめてから、足をそろり

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soft light

 お風呂上がりで火照った身体を、少し上のほうからベッドに落とす。落とされた彼女は、ほぉっとゆるく淡くほの熱い息を吐き、天井の蛍光灯の明かりを見つめて、眩しそうに目を細める。そっと首を傾ける。意思のない人形を思わせる仕草で、その無機質さが愛しかった。
 乱暴な子供が戯れにそうしたように、人形には手足がなく、バスタオルが巻かれている。柔らかで乾いたタオル越しに見える線は、凹凸が少なく、幼く見えて、彼女

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月と螺旋階段

 螺旋階段を降りていく。まあるい塔の内側、壁伝いにするする流れる細い石段。ところどころひび割れていたり、削れていたり。柵もないのでそろそろと降りていく。
 目を落とすと、駆け上がってくる二人の少年少女が見えた。男の子が女の子の手を引いて、兄妹だろうか、二人は足元も見ずに天を見上げている。塔の天井は崩れてすでになく、歪な丸に切り取られた夜空が見える。丸い月が丸い空の端からちらりと顔を覗かせている。微

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断崖の家のアリス

 がやがやとやかましい人ごみのなか、私は背の高い男に手を引かれて、転びそうになりながら歩いている。白いワンピースの裾が何度も踏まれそうになる。待って、と言っても男はきかない。顔のまわりが煙に覆われていて、かけている眼鏡が浮かんでいるようだった。
 蒸気機関車で知らない駅に着いた。今度は誰もいない。ロータリーには魚と鯨が止まっていて、煙眼鏡は魚に近づいた。魚の後ろ半分がぱっくり開いて、赤身が見えちゃ

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デジタル

月はもうすでに古びたデジタルで、ときおり滲み、囚われの姫である君は囚われの塔の窓からそれを見上げている。君自身もデジタルで、ふとした瞬間にノイズが走る。泥で薄汚れたドレスを着込み、睨みつけるような視線を僕に向ける。カメラなどはないはずなのに、君は的確に僕を見つける。僕もときおり君の前に姿を現し、話しかけたりもする。やあ、元気かい。今何をしてるの? そんな言葉は規定により伝わらないし、もし伝わってい

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碁石と人魚

 碁石を拾う。白と黒。拾っていくうち、かがんだあるときに、水の中にいることに気づいた。身体を動かすときに、空気よりも少しばかり重たい抵抗があった。
 プールの底だった。水でたわんで揺らめく白線が、ずっとずっと遠くまで続いていた。随分と大きなプールだなとのんびりと思った。
 碁石は白線をたどることを促すように、ぽつりぽつりと落ちていた。置かれているのかもしれない。誰かと誰かが碁盤を使わない囲碁の勝負

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