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【読書記録】「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」自撮り登山で指9本を失った男と、爆笑問題太田の共通点

「自撮り登山家」栗城史多さんは、学校祭の演劇になるとはりきって、脚本も主演もなにもかもやりたがる生徒だった。

1年のときは原始人の話。
2年ではラーメン屋の話。
3年のときは「踊る大捜査線」のパロディをやった。

3年間通して受け持った担任の先生は、これに気づいて大変驚いた。
話が全部続きものになっていたのだ。
3年目に出てきた悪者が1,2年のときの出来事を仕組んでいた。

爆笑問題の太田光が、学園祭で一人芝居をやった話を思い出した。孤立ぎみの生徒がひとりの演劇部で芝居をやっても誰も来ない。先生だけがほめてくれた。芸人やミュージシャンには学園祭の成功体験が原点ではじめた人が多い。

その後、栗城さんは、酸素ボンベを持たない「無酸素登山」配信で話題になるが、登山よりさきに演劇があった。純粋に人を驚かせたいサービス精神があった。

卒業後は、お笑い芸人の養成所NSCに入る。
のちに配信者になるオリエンタルラジオやキングコングと近い世代なのは偶然じゃない気がする。

テレビが話題の中心だったころから、ニコニコ生放送、youtube、素人による配信が盛り上がってくる時代だ。
顔出し配信者は「やばいヤツ」から子供たちの憧れになり、ゲームをやりながら話す「ゲーム実況」配信のノウハウやルールができていくのを僕も見ていた。


栗城はそのころ、お笑いではなく登山にのめりこんでいたが、敏感な人は気づいたのだろう。携帯電話の「圏外」が珍しくなるように、どこからも配信できる時代が来ると。

ストイックに山と向き合うのではなく、道具を揃える準備段階から配信して、荷物を小さくまとめる方法、高所での食事の話題で興味をひき、コメントを読んで、視聴者といっしょに登頂する。
ネット時代の新しい登山スタイルが来る。
「人類初のエベレスト登頂生配信」をやるのは俺しかいない!
そう思う時代の流れがあった。

栗城さんがメディアに出ると
「日本も捨てたもんじゃない!この若者を見習え!」と、みんながもてはやした。
「進め!電波少年」の土屋プロデューサー、茂木健一郎、資金提供をしたみんなが、そろって、彼のスケールの大きい言葉や人なつこさに好感をいだく。

その栗城さんが、だんだん勢いをなくしていく姿が残酷に記録されている。
登山について調べた作者は、彼のこだわった「無酸素・単独登頂」があやしいことに気づく。栗城さんはあいまいに答える。
加圧トレーニングで参考にした人の名前には笑ってしまった。

素人のイメージだと、マッキンリーに登頂したらエベレストも行けるような気がしてしまうけど、難易度が全く違う。回収しきれない死体がルート上にずっと氷漬けで放置されていたりする。

失敗を繰り返して、関係者を引き付けた栗城さんは、どんどん胡散臭い印象になっていく。
クラウドファンディングで入山資金を集めると、視聴者も失敗を叩きやすい空気になる。「2ちゃんねる」では「下山家」と揶揄される。

そのころテレビの企画で、タレントのイモトアヤコが着々とエベレスト登頂の準備をしていた。
他のスポーツは、今のプレイヤーが話題になるが、登山は最初になしとげた人が語り継がれる。先に登頂するしかない。

失敗を繰り返して、凍傷で指9本を失った。残酷なのは、きき手の親指1本が残っていて、かろうじて道具を握れたことだ。
奇跡が重なれば指1本で夢がつかめると思っていたのか。それとも、周囲が言うように無理だとわかってエベレストを死に場所に選んだのか。

誰が止めても聞かなかった。
栗城さんは家庭の事情で、家に友達を呼びたがらない子供だった。
その子が自己表現できる最高の劇場はエベレスト。人生をかけて追いかける夢の舞台を見つけた彼に、
「平凡な人生に戻れ」なんて言えますか。下界には夢も居場所もないのに。

登山家×配信者なんて、全く興味を持てない人だったのに、読みながら揺さぶられていく。面白い本にはそういう魔力がある。

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読書感想文

読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。