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レイ・ブラッドベリでSF小説デビュー!【華氏451度】

SF小説入門サイトで知った「華氏451度」を読んでいます。
支配者階級によって、一般人が余計なことを考えず従うように、本がご禁制になったディストピア社会。
主人公は本を見つけて焼却する「ファイアマン」の仕事に就いている。かつてその職は火を消す役割だったことも知らず。


SF小説というものを全く読んだことがなくて、ずっとふしぎな存在だった。
映画で「未来だ!」と思うのは、斬新なファッションや宇宙船が出てきたとき。その瞬間のワクワクを味わうために観ているようなところがある。
文章で体験する未来なんて、その醍醐味がないだろう。それは面白いのか。時代小説とちがって、作者のイメージした世界と違う映像が頭に広がる。どうやって文書で未来を感じるんだろう。

それが、現在にない「法律」が出てきて、わかった。

「華氏451度」の世界は、民衆が自分で考えないように本がご禁制になっている。
主人公は、考える。
なぜ一部の人は、持っていれば家ごと焼き払われる「本」などを持つのか。そこまでして守りたい何かが書いてあるのか。命の危険をおかしても持ちたい「本」とは何なのか。

現場から、そっと服の中に一冊の本を忍ばせて、妻にだまって枕元に隠す。そこにサスペンスが生まれる。
人は制度によって考えかたや行動を変える。常識を変える。
斬新なデザインの宇宙船など出てこなくても、人の感覚が変わっているのが未来なのだ。

90年代の人は、携帯電話が超高機能で薄型になったのを見れば「未来」を感じる。21世紀っぽい!と思うだろう。
だけど、本当は電話が薄くなったことそのものじゃなくて、
人とすぐ会えるようになったり、空き時間が減ったり、SNSでバズること前提で行動したり、逆に世間にさらされることを恐れ、はしゃぐことを控えて、人の考えや行動が小さなスマホひとつで変わったのが21世紀だ。

斬新なデザインの服や宇宙船が出てくることじゃなくて、人の考え方が違うことが、未来なんだ。
文字で未来を描けるんだ。
「そういうことか!」って強く納得した。

もう読んでる人にとっては、お前・・・いまさら何言ってんの!?って話だけど、この感じは、きっと記録しておかないと忘れてしまうから、こうして残している。

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読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。