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【読書日記】平成猿蟹合戦図

「平成猿蟹合戦図」吉田修一 読了。

何ゆえ、このタイトルなのか…。いわゆる復讐劇なのだと理解しながら読んでいくも、どんな復讐劇なのか始め不思議に思いながら読む。
なんせ、始まりは長崎・五島列島から連絡の取れなくなった夫を探してまだ若い女の子が乳飲み子を抱えて、上京するところから始まるから。
この子が嫌な目に合うんだろうか~と、気分を悪くする前の予防線を自分に張りながら読み進めるけれど、
なんとも呑気な夫が呑気に現れ、呑気な夫はクラブ勤めの呑気な男と仲良くなっており、呑気に脅迫とか始めてしまう。
その脅迫相手のチェロ奏者が出てきた辺りで「復讐」というワードが絡んでくる。
「復讐」というワードに「不幸」な空気感が漂うのに、脅迫の仕方がなんとも間抜けで、笑いを誘う。脅迫者のつもりがいつしか取り込まれてしまう。
のらりくらりと、駆けあがっていく若者たち。そして、それをおだてたり、叱ったり、サポートする人たち。
誰が誰に復讐するのか、色々と想いは交錯しながらも、クラブでボーイをしていた純平は最終的には衆議院議員に立候補までしてしまう。この純平という存在は「幸せ」そのもので、何を悔しいとかバネにするでもなく、そこが皆の希望であり続ける。「復讐」というワードから暗いものを想像していたけれど、純平や歌舞伎町で働くことになった五島列島から出てきた夫婦も、「幸せ」そのもので辛いことなく、総じて振り返ればスッキリする物語なのだった。
心に残った言葉ひとつ。

「私、思うんです。人を騙す人間にも、その人間なりの理屈があるんだろうって。だから、平気で人を騙せるんだろうって。結局、人を騙せる人間は自分のことを正しいと思える人なんです。逆に騙される方は、自分が本当に正しいのかといつも疑うことができる人間なんです。本来ならそっちの方が人として正しいと思うんです。でも、自分のことを疑う人間を世の中は簡単に見捨てます。すぐに足を掬われるんです。正しいと言い張る者だけが正しいんだと勘違いしてるんです」

本当にそうだなあと思う。
騙す騙さない、じゃなくても、大声で怒鳴ってる人ってどうしてそんなに自分のことを正しいと思えるんだろうって思う。
私はいつも自信がなくて大声で怒鳴ることができない。
けれど、このお話の中で

自分は正しいのだと言い切れる者が勝つ。徳田と純平、どちらがより大きな声で「自分は正しいんだ!」と言えるか、ただそれだけのことだ。そして最後まで大声で叫び続けられた者が勝つ。
自分に言い聞かせるように夕子はそう心の中で呟いた。本当にそれが正しいと自分で思っているのか、疑うのは今じゃないと言い聞かせた。

とあって、大声で叫ばないといけない時もあるんだなあって。それがどんな時か分からないけれど、もし間違ったことを大声で言われて、それを受けてしまったら相手が正しいことになってしまう世の中だとしたら…じゃあ、自分はそれよりも大声で叫ばなきゃいけないときもあるんだろうなって。
自分一人我慢すればいいならいいけど、そうじゃなくて、誰かを守らなきゃいけない、誰かの期待に応えなきゃいけない、そんな時に自分も頑張って大声を出さなきゃいけないんだなって。
そうやって、純平は今まで出したことのない大声を最後出すことになったんだなって思って、読んだらとても胸のすっきりする物語だった。
この純平ののらりくらり具合が「世之介」とちょっと似てるんだけど、「何者」にもならなかった世之介と対照的に、純平は大物になってしまうんだな。
世之介は何者にもならないってところがポイントだとは思うけれど。


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