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パニさんと出会う前の私の人生

皆様前回の記事を読んでくださり本当にありがとうございました😊 
アクセス数が思った以上に多くてびっくりいたしました☀️
いや、、noteを初めて2回目なのに文を書くのって難しいなと早くも感じております😅
面白い記事を書ける方をnoteを自分がやってみてもっとすごいなと尊敬しました。

本日からですね、
私の詳しい自己紹介として

パニック障害になる前の自分の人生

を何回かに分けて書いていきたいと思います。

まず、今回話していくのは中学〜高校までについてです。

中学校は地元の家から近い中学校に受験とかなしで入学いたしました。

入学してすぐ私はコミュニケーション能力はある程度ある方なのですぐにお友達が増えたり運動会ではリレー選手に選んでもらえるなどとっても楽しい生活でした。

ですがこのとき、

すでに週に一回は体調が良くなくお休み

をしている日々でした。

やはり流石におかしいなと思い病院に行ったところある病気であることが発覚し、

それで長期間休まざるおえなくなりました。(この時はパニック障害ではないです)

その後何ヶ月かの治療にて病気は完治いたしました。

久しぶりに2年になり復帰後登校した際にたくさんの同級生が集まってくれて沢山心配してくれたり歓迎してくれました。 

やったー!また復活できると思った矢先、私が行ってない間色んなことが起き授業もかなり進みみんなの話してることが丸っ切りわからなかったのです。

特に私は負けず嫌いでもあったため授業についていけないことが辛くなりストレスが続き慢性胃炎というものになってしまい徐々に学校から遠のいてしましました。

ありがたいことに、お友達は時々メールしてくれたり、私が途中から学校に行くことがあったりしたらみんな優しく歓迎してくれました。

2年生になり何日か経った後私自身慢性胃炎が怖くて学校に行くのは無理だと思い親にそのことを伝えました💦

親は本当に波乱万丈な人生を送ってたこともあり、色んなことに寛大でした。

学校に行きたくないと言ったら『みんなと同じ様に学校に行って生活してもらうのが一番だけどねあなたがもしそれが無理と言うなら強制はしないしその決断を親としてサポートする』

『ただ家の家事をやること勉強を家でもやることこれだけは約束してね』といわれました。

お父さんもお母さんも自慢ではないのですが色んな経験をしてる分とってもいい人なんです。

ただ、この2年間の不登校は正直経験して良かった〜

と思うことだらけなのです。
不登校の時のお話はまた今度お話ししますね。

まず、中学二年生の時に、
昔から好きだったアメリカのドラマの影響で母と共に

アメリカに旅行

にいく決意をいたしました。

その際自分は完璧主義なのかどうしても英語を習ってからじゃなきゃと言う気持ちで英会話教室に急遽入り毎日のように通い始めます。

ここでは日常会話を喋れる様になりもっと英語が好きになりました笑

そしていざ旅行にいくと、

もうみたことない景色文化空間がもう一目惚れしてしまうほど気にいってしまいました。

この時に私は

海外留学に行きたい

と思う様になります。

それ以降何回かホームステイを中学校の時に経験します。(お金がかかる子で申し訳なかったです泣)

そしてこれを繰り返している時に、ある高校を目にしました。

その高校とは

海外の高校に長期留学

ができると言う高校でした。

もう私はこれをみた瞬間運命を感じてすぐにお母さんに話したところお母さん自身もここがいいと進めようとしてくれてたそうです。

そのこともあり私は、この高校に入ることを決意しました。

そのためには、
中学校が不登校だった分

色んな資格を取ったりとにかく勉強して

満点に近づけられる様に頑張った結果見事合格を果たしました。

高校では海外の子達がいる様な学校だったため
色んな国の出身の子達や海外に興味ある様な同級生だらけで中学で楽しめなかった分その倍くらい高校で楽しんだ気がします。

ほぼ毎日お友達と放課後遊んでおりました笑

学校の成績も留学できる子達が限られてるのでそれに選ばれるために勉強も頑張り委員会も苦手でしたが何度も参加したりしました。

その結果成績では一桁台の順位を常に獲得しておりました。

そして二年生になりついに、
留学が決定するテストそして英語での面接がありましたが無事合格し、

海外の高校へ長期留学

が決まりました。

この留学を機に今思えばパニック障害の兆候が徐々に出ていたことに気づきました。

長くなってしまったので高校後半編は明日更新いたします。

みなみ



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