母の日
「こっちのおっきい家に住みたい!」
子どもと散歩をしている時に言われました。
「どこのおうちに住みたいの?」
指を差したその先には我が家よりひとまわり大きい一戸建てが建っていました。
「なんであのおうちに住みたいの?」
「あっちの方が大きいし、かくれんぼが楽しそう!」
今の家でも十分な大きさだと思っていたので「小さい」と感じていた子どもを見て少し驚きました。
たしかに今の家しか知らないし自然なことなのでしょう。ふと幼少期の記憶がよみがえりました。
「一戸建てに住んでみたいなぁ」
私もそんな憧れがありました。
小学生の頃、友だちの誕生日会に招かれたことがありました。そこではじめて自分の置かれている環境がなんとなく分かった気がしました。今思えば、大地主の家だったので余計に感じたのかもしれません。
当時の私の住まいは陽当たりが悪く、築30年以上は経過していたであろう建物の2階。ガラスの引戸の玄関。鍵をかけるのもコツが必要でした。たしか名前も「○○荘」とかだった気がします。
部屋にはいると6畳の和室の続き間が2つ、それと6畳のダイニングキッチンとタイルのお風呂に和式のトイレ。洗面所はなく、脱衣場もありません。かろうじて洗濯機は室内に置けていたかと思います。2DKという大きさです。
母と兄弟3人で暮らしていました。狭いので、兄弟ケンカも絶えず、自分の陣地を守るため、かつ、領土を広げることに力を注いでいました。石井史の中では戦国時代にあたります。
しかし、あまり騒ぎすぎると一階の強面のおじさんたちにドヤされるので、争いが起きない限りは忍のように暮らしていました。「足音をたてない」というスキルをこの時身につけました。このスキルは夜中に家に帰ることが多いので今は大いに役に立っています。
そこにはご近所さんとの爽やかな挨拶もなく、地域コミュニティなどもありもせず、ましてや自治会活動というものにも全く触れることはありませんでした。
それでも、当時の記憶は決して悪い記憶ではありません。
世の中を知っていくことで、どこか野心が芽生えてきた部分はあるとは思いますが、それ以上に母への感謝の気持ちがとても大きいです。
同じ親という立場になり、女手一つで三人の息子を満足に育てていくことがどれほど大変なことかが分かりました。
普通の生活をさせてもらっていたこと自体が置かれた環境を考えるとすごいことでした。
気がつけば「母の日」
今の生活があるのも母のおかげです。
私も母にしてもらったように
子どもたちに普通の生活を
そして、物質的な豊かさよりも心の豊かさが養われるよう育てていきたいと思います。
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