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優等生がヤンキーを殴った話(言葉で)

休み時間、教室で本を読んでいると、騒音が聞こえてきた。廊下をのぞくと、バイクが向かってくる。

ゆっくりと周りを威圧するようにバイクを走らせていたのは、ヤンキーのリーダーKだ。周りでとりまきが歓声を上げている。みんな刺繍の入った短い学ランに、ダボダボのズボン。ズボンがずり落ちていればいるほどカッコいいということらしく、腰からパンツが見えている。先生は完全に出遅れていて、何か言っているようだがエンジン音と歓声にかき消されて、バイクの暴走を止められない。

「ああ、またか。」

どうでもいいや、と席に戻り、読みかけの本を開いた。

わたしの通っていた中学校は、荒れていた。
ヤンキーのリーダーKは同級生で、彼の学年が上がるほど荒れて行った。つまり、わたしの高校受験が近づくにつれて、学校は学校としての機能を維持するのが難しくなって行った。

ヤジが飛んで話が進まないので朝礼は長引き、そのせいで短縮授業になることが告げられると、ヤンキーたちは歓声をあげた。授業なんて、まともに聞かないくせに。教室の壁には大きな穴が空いていたし、消化器の中身がばら撒かれるのも日常だった。

男子だけでなく、女子も荒れていった。一部の女子のスカートはどんどん短くなり、私の所属する吹奏楽部の同級生も、熱心に練習していた楽器を放り出して、メイクと男漁りに忙しくしていた。

彼らが荒れていくのに反比例するように、わたしは勉強とフルートの練習にのめり込んでいった。

そんな状況でも、なぜか先生たちはヤンキーに優しい。一緒になってタバコを吸ったり、授業はまともに行えないのに、どうしてか彼らのための特別補講をしていた。わたしは、訳がわからなかった。

もう、こんな学校から早く出たい。学区外の、誰も知っている人がいない高校に行きたい。

たまたま県内に、単位制で自由な校風の、実験的な公立高校があった。倍率は3倍くらい、公立にしては難易度が高いけど、わたしはそこに行く。

そのためには、成績をトップレベルにしなければ。

だから、あんな奴らに構っている時間はないんだ。

その一心で勉強に集中した。授業はあてにしないし、塾に行こうなんて思わなかった。先生にも頼らない。自力であの高校に行くんだ。成績はどんどん上がり、テストの点数でトップを取る常連になった。

成績が上がるとわたしの態度も大きくなり、ヤンキーたちを睨みつけ、先生には苦情を言った。テストの点がいいので主要5科目の成績は良かったけど、先生の好き嫌いが反映される家庭科の点は悪かった。先生に嫌われているのが分かると、ますます点数を取ることに躍起になった。数字は裏切らない。

そんなふうに過ごしていたある日、なぜかペアを組んで掃除をすることになった。ヤンキーたちがまったく掃除に参加しないので、先生たちは、ペア制にすればなんとかなると踏んだのだろう。

わたしとペアになったのは、あのヤンキーのリーダーKだった。こいつさえいなければ、学校はこうなっていなかったはずなのに。わたしはKに対する憎しみをためていた。

なぜか、その日は掃除の時間までちゃんと教室に残っていた彼が目の前にいた。身体が大きくて、殴られたらひとたまりもない。

だけど、わたしは、彼の目を正面からじっと見て言った。

「あなたみたいな人と、ペアなんて組みたくない。一緒に掃除なんて、したくない。」

言い終わらないうちに「あ、」と思った。強面の彼の小さな目が、かすかに震えたのを見逃さなかった。

「わたしは、今、この人を傷つけた。」

そう気づいた時には、彼は逃げるように教室を飛び出して、戻ってこなかった。

たぶん、これが、悪意を持って人を傷つけた最初の記憶。なぜか心に引っ掛かったけど、それからもわたしは態度を改めはしなかった。むしろ、ヤンキーに屈しなかった自分を誇りに思ってさえいた。

今になって、ふと思う。

学校が荒れていた原因は、Kだったのかな。わたしは、ほんとうに被害者だった?

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11月9日(土)に、池袋で行われるコルクラボ 文化祭のために書いてみました。

文化祭は、どなたでも参加できますので、お時間許せばぜひ。




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