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【嫌われる勇気】「人は怒りを捏造する」をみてホッとした。よかった。

私は小学生のころから、自他ともに認める短気な性格でした。

短気すぎる私に、親も、私自身も、手を持て余していました。

「短気は損気」という言葉を知っていたので、私は「ダメな性格な人間」だと、早々に自分を諦めていたところもありました。

☛32ページ「人は怒りを捏造する」

初めてこれを見た時に「そうだったんだ…よかったー…」に似たような安心感がわいてきたように思います。

その安心感の理由は、「怒りはどうすることもできないものじゃないんだ」と知れたからです。

しかも、捏造とな!

捏造って、ないものをあたかもあるようにすることでしょ?

そうなると、哲人の言う「目的論」の視点てすごく冷静だよね。

「なんで私怒りっぽいんだろう」じゃなくて

「なんのために怒りを使ってるんだろう」。

感情論にはしってしまうんじゃなくて、論理的に分析していく感じ。

怒りをどうすることもできないと思っていた頃は、

自分に縄がくくられていて、「怒り」という擬人化したモノが縄ごと私を振り回しているような感覚でした。

私にはどうすることもできない、という感じ。

今はというと、「瞬間的に振り回されることはけっこうある。さらにいうと、ある特定の状況では、より強く振り回されることあるな。」と分析しています。

私が怒りを捏造する場面は、けっこう同じような状況が多いということですね。

それが分かると、その「目的」にも近づけそうです。

「目的」に近づいて、それは本当に怒りで対処することかどうかをただただ観察すると、今までにはない視点がありそうですね。

新たな視点に気づくことで、その瞬間から「怒り」を使うことをやめることができるかもしれません。

今より生きやすくなる可能性が、ほんの少し高くなったように感じます。

最後に、哲人の言葉を。

「ー要するに、怒りとは出し入れ可能な「道具」なのです。」

引用:嫌われる勇気ー自己啓発の源流「アドラー」の教え・著者 岸見一郎,古賀史健・2013年12月12日第1刷発行

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