見出し画像

ケンドリック・ラマー『Mr. Morale & The Big Steppers』全曲解説

5年ぶりの。待望の。沈黙を破って。

ケンドリック・ラマーの5作目『Mr. Morale & The Big Steppers』のリリースをめぐって、英語でも日本語でもよく見かけるキーワードである。2022年の5月13日。パンデミックが日常に溶け込み、東欧で戦争が続いている。まだ、カオスだ。

果たして、ケンドリックの新作を私はこの5年間待ち侘びていたかのか。天邪鬼になってみる。「否」である。いや、待ってはいたのだけれど、『DAMN.』も『good kid, m.A.A.d city』も『Section. 80』もまだ絶賛聴き込み中、過去の作品として消化しきれていない。傑作アルバムを出したあと、長年沈黙してしまうブラック・アーティストにたいして耐性ができているのも問題だ。ジョデシィは20年待たされて、途中で待っていること自体忘れてしまった。ディアンジェロで10年、マックスウェルは8年、ローリン・ヒルはオンゴーイング。こうなってくると、待つあいだクールに構えるのもファンとして正しい、なんて勘ちがいさえ生まれてしまう。

だから、ヒップホップどころかポップ・ミュージックで初めてのピューリッツァー賞受賞という偉業を(本人はとくに望んでいなかったのに)成しとげてしまったK.ドットが時間をかけたいのなら好きなだけかければいい、と思っていた。とにかく、『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』のあとの元カニエみたいに、ひとりでプレッシャーで苦しんでこじらせてほしくない。イェさんはそれ以外のファクターも多そうだけど。

だいたい、『DAMN.』や『good kid, m.A.A.d city』、『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』レベルのアルバムがポンスカポンスカ生まれると考えるほうがどうかしている。このあたりで賢明な読者の方々におかれましては、私が重度のケンドリック・ラマー万歳信者であるのにお気づきになったかもしれない。あちこちで「信者」発言をしているので、多神教を祀っているテキトーな人間であるのもバレているかもしれない。

この原稿は、リリースされてから数日間で聴きとったこと、感動、当惑したことを文章化する実験である。ほかの(とくにアメリカの)同業者の解析になるべく影響を受けずに仕上げるには、スピード感が大事だ。いったん、評価が固まるとどうしても引っ張られてしまうから。なぜ、そんな意地を張るのかわれながら謎だが、カニエとケンドリックにかんしては、自分の感覚と知識をまず信用したいし、せっかくだから鍛えたい。それくらい、信仰している。

結論から書くと、『Mr. Morale & The Big Steppers』は過去のアルバムに匹敵する傑作である。これまでも犯罪率の高い地域で育ちながら正気を保つ苦しみをラップしてきた彼が、34才の2児の父になってより難しい、アメリカの黒人社会および全体に巣食う病理に向き合う作品をドロップした。この作品でケンドリックは、「言ってはいけない」ラインはギリギリの、「言わないほうが無難」な発言をしまくりなのである。とくに同胞の黒人社会で怒る人から出てくるだろう。もし、出てこなかったら時代の進化の証になるとも思うけれど、近年のアメリカは揺り戻しというか、さらに保守化が進んでいる印象がある。「作品はほめるけれど、言葉尻を捉えて文句をいう」姿勢が「正解」とされてしまう予感もある。

何を言っているのか;

・キャンセル・カルチャーへの抵抗と、矛盾しているようで同根の一方的なセレブリティ信仰。
・コロナ禍における人間不信。
・黒人男性の白人女性にたいするコンプレックス。
・黒人の成人男性の深刻なファザー・コンプレックス
・身内にLGBTQ+、とくにトランスジェンダーの人がいたことで「宗教より身内のほうが大事」と言い切る勇気。
・ブラック・オン・ブラック・クライムの先にある、レイプの問題。近親相姦。などなど。

音楽的な特徴;

・ピアノ、および鍵盤楽器の音色を土台にしたトラックが多く、いつになく聴きやすい。
・多彩なフロー、声色と視点の変化の妙。
・オーケーラマことケンドリック、いままでになく歌っています。
・ブラスト、サンファ、アマンダ・レイファー、サマー・ウォーカー、タンナ・レオン、サム・デュー、いとこのベイビー・キームら若手の大量起用。
・ベテランではポーティスヘッドのベス・ギボンズの参加が話題だが、ヒップホップBBAの私としては、とにもかくにもGFK akaトニー・スタークス、ゴーストフェイス・キラー、きたーーーーーっである。あ、ウータン・クランのメンバーです。ケンドリックも『Supreme Clientele』育ちなのね、当然だよね、うんうん、わかるよ。な胸熱モーメント。
・右腕のサウンウェイヴほか、DJダヒ、ボーイ・ワンダ、J.LBS、デュヴァル・ティモシー、ビーチノイズらプロデューサーと、ソングライターとしてサム・デューががっつり控えるチームを作っている。ひとりが作ったトラックを、全員で手を加えて仕上げたのだろう。結果、さまざまな要素が入っていても統一感があり、とても聴きやすい。
・本作にはケンドリックの隣で盛り上げるハイプマンの役割を担う、登場回数が多いラッパーがいる。コダック・ブラックとベイビー・キームだ。いとこのキームはわかりやすいけれど、コダック・ブラックは驚いた。フロリダ出身のハイチ系アメリカ人の24才。ヒップホップ・ヘッズには高い人気を誇るが、曲のリリースの同じくらいの回数で逮捕、裁判、有罪といった話が出てくる人だ。

ここから先は

18,832字

¥ 400

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?