言葉を揺さぶる

 いわゆる業界用語というか、特定のクラスタでしか使われていない言葉が好きである。
 普段なじみのない言葉だからなのだろうか。それを聞いた瞬間に、どういう意味なのだろう、という引っ掛かりが心の端に生まれる。

 その言葉はどんな意味なのか。どんな理由でその言葉が生まれたのか。そんなことを知るのが、とても楽しい。

 仕事柄、僕はいま鉄工場のおっちゃんや、土木作業員と話をすることが多い。名古屋という場所が製造業に強い土地だということもあるのだが。

 金属加工の界隈では、直径のことを『パイ』と呼んだりする。文字で書くと『φ』だ。丸に縦線が入って、つまり直径、という意味なのだという。『φ』は正しくは『ファイ』と読むのだが、作業員たちはみな『パイ』と呼んでいる。その方が言いやすいからだ。

 以前働いていた飲食業界には、『アニキ』という言葉があった。アニキとは『複数ある食材のうちの古い方』といった意味である。先に作られた食材、つまり年上の食材。だから、『アニキ』、ということだ。「そのパスタソース、アニキがあるからそっちから先に使ってね」みたいに使われるわけですね。

 こうした業界用語が、一体どうやって生まれたかを考えたとき、言葉には、必ずそれをはじめに言い出した人がいるはずだ、ということに気づく。

 業界用語を聞くと、僕はいつも、それをはじめに言い出した誰かのことを思ってしまうのだ。彼、または彼女は、分かりやすく言いやすく、それでいて奇妙な違和感とともに印象付けられるような言葉を発明できたわけで、それはつまり、卓越した言語センスを持っていたはずである。

 と、ここまで書いていて、そういえば以前にも似たようなことを考えたことがあったな、と思い出した。それはもう二十数年前、ギャル語と呼ばれる一連の言葉が流行したときの話。「チョベリバ」「チョベリグ」「MK5」といった言葉がテレビでクローズアップされたときのことだ。

 『とても良い状態である』ということを『超・ベリーグッド』と称し、さらにそれを縮めて呼ぶ。これはおよそ常人のセンスではあり得ない、という気がしませんか?

 以前読んだ、哲学者の河本英夫氏の著書に、言語新作について論じているものがあった。それによれば、あえて言語を新作していくことは、柔軟な発想を得ることに非常に重要なのだという。

 河本氏曰く、現実世界というものは、言語によって安定しているのだという。現実世界に、それにふさわしい言葉をあてがうことで、”それ以外”として捉えることが出来なくなってしまうのだと。
 だから、あえて言語を揺さぶることで、それまで見えていた現実をこれまでと違った角度で捉えなおすことができるのだと。

 それはきっと一朝一夕でできることではない。野放図に新しい言葉を造ったところで、単純に支離滅裂になってしまうことは容易に想像できる。

 言語新作とは、狂気のため池に爪先だけを浸すような、ギリギリのバランス感覚・言語感覚が必要なのだろう、と思う。そのセンスは、少なくとも今の僕には、無い。

 恐れ多くも物書きを自称している以上、少なくともひとつくらいは自分だけの言葉を持っておきたいものだ。

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