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大切なのは才能じゃない、自分がこれまでに積んできた経験だ

と、最近すごく思うminamiです。

私の今所属をしているカーネギーメロン大学の博士課程では、ああ、この人本当に賢いな、天才だなと思うような人がたくさんいます。少し話すだけで、ああ、この人には絶対に敵わないと思わせるような人たちです。

私と同じプログラムにいる仲の良い中国人の友達もその中の一人です。彼女は、何をするにも情報を処理する力がすごく、特に数学に非常に長けています。今私は統計学の授業を一つとっているのですが、その中での彼女の能力は私とは比べ物にならず、すごいなあと思い続ける日々です。

そんな中、私も最初は、これは彼女が才能に恵まれていて、本当に天才で賢いからだと思っていました。だから敵うわけがないと。しかし、しばらく考えているうちに、そう考えるのは間違っているかもしれないと思うようになりました。

というのも、彼女は、北京大学(恐らく日本の東大的なところ)の理系学部を卒業した後にすぐにこのプログラムに入学に進学をしてきています。学部時代もそれまでも何年も彼女は関連する分野の勉強に時間を費やしてきたのだと思います。

一方で、私は確かに学部時代は数学を専攻していたものの、社会人を何年も経験し、勉強から離れたことで、当時の知識はすっかりと抜けてしまいました。そのため、統計学に関する専門知識や経験は非常に乏しい状態でのスタートでした。

なので、彼女がこれまで積み上げてきたものと、自分が積み上げてきたものの違いをちゃんと考慮せずに、彼女は才能があって羨ましいと片付けてしまうのは、彼女にとても失礼な気がしました。そもそもここまでの積み重ねが全う訳で、彼女の今は今までの彼女なりの積み重ねがあるからこそあるのだと思います。

また、一方で、私は彼女がしたことがない経験を逆にいうと持っている訳だから、彼女ができないことを私は何かできるはずだと考えるようになりました。例えば、私が社会人として働いていく中で得た、タイムマネジメント力やコミュニケーション能力は学部を卒業したばかりの学生は持っていないものだと思います。またデータサイエンティストとして働く中で得たスキルや物の考え方も、私が他の学生が持っていないものだと思います。

私は日本で学生をしている時、(また恐らく社会人として働いている際も、)どの教科(分野)でも全てにおいてちゃんとできて一人前、というジェネラリストになるべきという考え方を持っていました。

しかし、最近になり、人それぞれの経験によって生み出されるスペシャリストも素晴らしいのだと思うようになってきました。人それぞれ、持って生まれた才能だけじゃなくて、経験してきたことを通じて、その人なりの強みを持っていると思います。

苦手なことがたくさんあっても、ある一つの分野で輝けるのであれば、それも本当に素敵な生き方だと思います。

私はまだまだ自分が本当にどこで輝ける人間なのか、自分の強みが何なのかが正直よく分かりません。しかし、自分をしっかり見つめて、自分が本当に輝けるところに自分自身を集中させていくことをこれからの博士課程を通じて頑張っていきたいなと思いました。

今日は以上です。

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