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誰に、何を、遺すのか?

自分は何のためにno+eを書いているのかを今一度ここにまとめておく。プロフィールに固定するテキストがやっと完成形になった。

誰のため?

❶  どこかにいる私に似た誰かのため

幼い頃から実存的うつを持ち、創造的本能に突き動かされて生きてきた、数々の痛みと闘ってきた人。その人は孤独は当たり前だから、欲しいのは多数派の共感ではなく自分みたいな人が他にも存在することであるはず。
その人に届くような魂のテキストを書く。

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追記:
私が書くワードの中にギフテッドの方々が触れるテーマが多く存在する。「実存的うつ」や「過度激動(OE)」「積極的分離理論」など。現在多くの場合これらはギフテッドという特別な人たちに関わるものとして発信されている。私は自分にあえてラベルを付けるなら強度HSS型HSPだと思っている。私のように、ギフテッドではないのに他のHSS型HSPとも微妙に違っている、境界に位置するようなどことも言えない場所に位置する存在がいるはず。そういう人のために書く、という意味でもある。
私のように特定カテゴリ外のスタンスから発信してくれる存在がどこかにいないと彼らは闇に葬られてしまう。私はそんな人たちを助けたい。ここにいるよ〜と暗い海に向けて灯台の光を照らしたい。

また、宮沢賢治的な特徴を持つ人と分かち合いたい表現がある。激しい共感的情動と理想を生まれ持ち自我境界が薄く自然界と意識が溶け込んでいて無欲で慎ましい人間性。

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❷  大人になった息子のため

敏感気質では全然ないが、息子がいつか大人になり、人生で様々な疑問にぶち当たり、真の人間性が試される局面を迎えたとき、(そのときはもうこの世にいないかもしれない)私のことを思い出すと思う。人は何のために生きるのかというテーマをいつも話していた母親のことを。
そのとき、自分の母は子供の頃から何を思いどう生きてきたのか知りたいと強く願うかもしれない。私が書いたものが遺っていればそこから辿ることができる。
大人になった息子のために、魂の遺産とする。

言葉は、時代を超えられる不変記号。

何を遺す?

多数派と違っていた理由を遺す。

波乱な人生をどう潜り抜けてきたのか。
痛みや苦しみとどのように向き合ってきたのか。
心にあったものは何か。
目指した方向は何か。

……そういう内面の精神の話。私が生きてこられた理由でもある「内面に持っていたもの」。“実存的うつ”や“積極的分離”や“創造性”の話がこれ。加えて、

波乱な人生で何が私を救ってくれたのか。
痛みや苦しみのなか何が心を支えてくれたのか。
心に入ってきたものは何か。
導いてくれたものは何か。

……そういう外側の世界から内側へ流れ込んできたものの話。私を「生かしてくれた」ものたち。“日記と雑文”がこれにあたる。

私は明日にも死ぬかもしれない

世の中で、この事実を「直視」する人は少ないと思う。
例えば今年に入って不慮の事故で亡くなった人はどれだけいるだろう? その人たちはその日の朝自分が今日死ぬことになるなんて微塵も思っていなかったはず。今日も明日も変わらぬ毎日が続いていくと信じていたはず。だけど突然命は遮断された。思いもかけなかった運命の悪戯により。

悲しいけれどこれが現実だ。
だから人は一瞬一秒を無駄にしちゃいけない。

自分の力では決して制御できない得体のしれない宇宙の力学を前にすれば、己の信念も誇りも命ですら無力だ。この現実から目を逸らしたいがために人は必死に不動の何かを求め、頼れる法則を見つけてそれに縋り生きようとしている。
これを直視すれば命の意味がないことに気づいてしまうから、だから人はみな直視を避けて生きる。直視しても希望をなくさないでいるには、心に自らの手で創造したものが必要だ。創造して生きた人だけがこの直視に耐えられる。この「創造したもの」こそが大切な誰かに遺してあげられる、かけがえのない宝だと思う。

これまでの人生で私が創造してきたものを、どこかにいる誰かと、人生の意味を探す年齢になった息子のために書き残す。そのためにno+eを書く。そうすれば、彼ら自身が創造性について何かを思い巡らす機会になるだろう。
……もしかしたら、息子は敏感気質ではないので閉じ込められた社会の中で快適に生きることだけを求めて生きていく人かもしれず、私の遺産を必要とする日などこないのかもしれない。それでも実存的苦悩は誰にでも起こり得るし、素直で優しい心を持つ息子のためにも、私の遺した言葉は大きな価値を持つと信じている。

いつ命が消えてもいいように、できる限り誰かの光となる言葉を遺したい。

知識と探索と思考のその先に、自らの力で築いていく精神の光。

目に見える外側の行動のみでそれを行う方法は私向きではない。精神という目に見えないものを文字という不変記号を使って遺すことが自分の能力を活かせる最大の方法だとわかったから。過去には身体を動かして奉仕活動と称されるものに従事したこともあるけれど(手法が間違っていたのは承知)HSP本やその他の本を読んで自分の能力の本当の活かし方が何なのかよくわかった。その流れで直接誰かと言葉を交わすことができたならそれはそれでありがたいことだ。だけどひとまずは、ひたすら価値ある何かを書き綴っていこう。これは決して〝理想論〟や〝こうあるべき論〟など耳触りの良いきれいごとではなく、美しくも醜くもある一人間の、ありのままの姿、魂の声に過ぎない。

だから、このno+eが一日でも長く存続してくれることを願うばかりだ。

「ほんとうのさいわい」を見つける旅に出るあなたを、私はいつも応援しています。




HSPについては書き切ったので今後本命記事に入っていきます。

ドンブロフスキの積極的分離理論は、生きる意味を真剣に考える人が知るべき「人間のための」理論です。
「ギフテッド」「非ギフテッド」と境界を設けることに意味があるとは思えません。これは激しい創造的本能を持つ人が長い時間をかけて辿る人生の道筋を示すものです。
快適な日常に包まり生きようとする精神と、嵐の海へ乗り出そうとする精神がある。後者のスピリットと共に生きてきた私のたくさんの「気づき」を(できるだけユーモアを交えて)ここno+eに残していきたいです。
自分が自分と分たれる(1・現実生活とは別の鮮やかでリアルな心象風景と共に生きること 2・他者の苦しみと共鳴する心から逃れられないこと)、自我境界の薄い人間の苦しみと喜びを情緒たっぷりに表現してみたいのです。

お読み頂き誠にありがとうございます。お金は貴方にとって大切な人の健康や幸福のためにお使いください!貴方の幸せを願っています。