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あとがきのようなもの

改めて、お焚き上げ代わりに、22か、24かその辺で書いた小説を全話投稿しました。5年以上経った今、読み直してみると、あの時から本質は変わっていないと思ってしまいました。
当時、主人公と同じように失恋したし、院生だったのですのが論文の執筆が上手くいかずに何もかもうまくいかない気がして、傷を誰かに癒してほしいという気持ちでいました。だからこそ、その時書いたこの小説についても、最後救われるようなエンドにしたというわけです。ただ、違和感を覚えた人もいるかと思います。彼女と別れたのに、そんなにあっさり元気になるのかと、さらには浪人するキッカケにもなるほど心が病んだ前例があるのにここではすぐに元気になっていることから、深鈴に対する思いは大したものではなかったのではないかと考えた人もいると思います。寧うではなく、他人から慰められたらとりあえず持ち直そう、少しでも気丈に振る舞おうとするのが人間の心理ではないかと思うのです。

そもそも、心の傷なんて簡単に癒えるわけもないのですから、実際は解決して傷が癒えたのではなく、主人公は傷を抱えたまま虚勢をはって、斑鳩という人物からの厚意を大切にしたいという真面目さから出た、空元気のようなものを表現したいと考えたのが終話の内容でした。

今見ると、完璧にその辺りの人間の本質的な部分を表現できたかは怪しいところがあります。人間の本質というよりも、正確には傷を抱えながらも生きていかなければならないというのが人生の特徴であり、一方でその傷を埋めてくれようとする他人の優しさに触れることもまた人生の特徴であるという2つの側面を抱えているのが人生ではないかという提題という方が良いかもしれません。ただどちらにせよ、その辺りについて20代半ばなりに考えて、形にして努力だけは自分のこととはいえその努力を認めたくなったのです。というより、小説を書き出す以外その当時の自分には心の傷を癒す方法がなかったのですから、せめてその傷を解消しようとしたら努力を軽視することはできないというのが正しいですね。

このような小説をあらためて書くは怪しいです。一応、もう1つ短編を当時書いていたので、そちらを後日投稿することはできますが、今回のように複数話に渡って書かれる作品はこれで最後かもしれません。何にせよ、あとがきまで読んでくれてありがとうございました。何か、ちょっとしたものぐさの足しになったならば幸いです。

水無月

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