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いちばんいい時に、いちばんいい場所で

(すごい、長いです。)

結婚2周年、そして27歳になりました。付き合った頃の夫と同じ歳なのかぁと思うと私も一瞬で30が目の前に見えてくるようなきがしています。

MISIAの「花」という歌をたまにぼーっと海で聴くのが好きなんですが、ここ2年くらいで「なんとなく、人生ってこうなってると思う。」と感じるようになりました。
気になる方は、歌詞検索してみてください。

久々にnoteを開いたのは、嬉しい偶然の出会いやそんな連鎖でできている1年を書き留めておきたかったから。

偶然は突然やってくる

週末働いているキッチンカー出店時に、PwC時代にコンタクトを取ったことがあったHuman Potential Labの山下さんに偶然お会いし、「これも何かの縁だからよかったら今度オフィスにおいで〜」とお誘いいただきました。このトップの写真は、その山下さんのオフィスにあるサウナのお写真。

コンサル界隈にいる方はご存知の方も多いかもしれませんが、山下さんは「僕がアクセンチュアを辞めた理由」を書いた方。自分はコンサル時代にこのブログを読んで、この先このままいけば自分が見るであろう景色が浮かび、自分の中のもやっと感がひとつ言語化されたような気分でした。

もう一度新卒を経験できるとしたら

私はいつもいろんな人に言いますが、「もう一度新卒で会社選んで入れるとしたら?」と聞かれたら、迷うことなくPwCを選ぶと思います。

資本主義経済の合理的なシステムのもと、(あくまで私が経験した限りでは)人間的にも尊敬でき私よりはるかに優秀な人たちに恵まれ、やるべきことさえしていれば、社内外問わずそれなりに自由にいろんなことに挑戦させてもらえる環境でした。
たった2年とはいえ、茅ヶ崎⇔丸の内+ときどき金沢な生活はそこそこバランスを取れていたし、都会も適度な田舎もいいとこどりで満喫していました。

新卒1-2年目でも、社内ではD&Iやソーシャル領域の社内認知拡大を推進する活動に関わらせていただき、社外でもプロボノなど含めいろんな経験をさせていただきました。そしてそんなチャレンジをどんどんしたらいいよと背中を押してくださる上長や、コーチにも恵まれていました。

それなりの充足感を手放す勇気

そんな公私共に?それなりに充足感を感じながら2年間を過ごしつつも、私は「夫のインド赴任」という口実をきっかけに、山下さんのブログの中で書かれていた、カセットで言うと「B面」の生き方にどっぷり浸かりたい衝動にかられ、結果的にいまの働き方や生き方を選ぶに至りました。

(たまに勘違いされますが、人や地球に優しく自然と共存し人間らしい生き方をするって、「田舎で農的生活を送って不便な時代に戻ろう」を目指しているわけではありません。またそんな話は別で書きたいと思います。)

きっとこのままいけばそこそこいいお給料をもらい続け、それなりの評価を得ながら自己成長と共に充足感を得て、寝不足や疲れは整体やエステで解消して、なんとなく身も心も満たされたような未来が続いていくんだろう。そう感じていました。

一方で、こんな生活を手放してみないと、見えない景色がある気がしました。

そしてその景色を見ずしてここに留まることを決めるよりは、「手放してみてダメだったらまた考えたらいい。」

いま考えると怖いくらいに楽観的な自分がそこにいて、退職を決めていました。

手放すと舞い込む×偶発性理論

そう。退職を決意した時は、まさかそのすぐ先で、コロナ感染拡大→インド赴任延期なんて未来がくるなんてことはまったくの想定外。

一寸先は闇ってこういう時に使うのか?とさえ思えました。

有休消化期間でさえ、私たぶん専業主婦になったら鬱になると感じたのに、これからどうしようかなあ…と。貯金があるうちはいいけど、地方の中小で働く夫の稼ぎだけで生きるのは限界がくるし、金沢で事務職とか探す?でもいつインド行くか分からないのにこんなコロナ禍で雇ってくれるところあるのか?

「コロナのせいで」と前職に戻ることもどこかのタイミングでできたかもしれないけれど、それは自分が許さなかった。

「こういうリスクも含めて自分で選んだ道なんだろ」と言い聞かせて、「『ああ、あの時、会社辞めなければよかった』なんて絶対に思いたくない、そうは思わない人生にする」と言い聞かせていたら1年半が経過していました。

でもそんな風に潔く前職を手放して進む決意ができていたからこそ、新しいものがたくさん舞い込んでくるようになり、結果、「やりたいことだけやりまくるパラレルキャリア」ができあがってました。「手放すと舞い込むなんてこと、本当にあるんだなぁ」と。

昨年はふたりの価値観、創りたい世界観、これからの未来像をぶつけ合いながら、ちょっと(いやかなり)変わった結婚式を挙げたり。(コンサル時代のボーナスを注ぎ込みました。笑)

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私が「グリーンスクールみたいな場(でも多方面から移住し通わせるほどのハイステータスな学校ではなく、もっとローカルにいろんなことが循環する小さな規模で、"学校"である必要もないくらいの場)を日本にも創りたい」と夫に話したことがきっかけで、サイハテ村を含む九州旅行へ行ったり。

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花の日イベントもディレクションさせてもらいました。ひとりでも多くの方にロスフラワーを知っていただく機会や、花について考えてもらうきっかけになっていたら嬉しいです。

この一年で強く自覚したことは、セクターや組織を横断して活動するのが好きなんだなぁと。

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そんなことを考えていたら、組織や所属を超えて活動する「インタープレナー(越境人材)」という、自分これかああ!という概念に出会えたり。

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そして今回のように、ひょんなきっかけで山下さんにお会いでき、オフィスのサウナでお話をする機会をいただけたり。

こんなすべての出来事が、自分にとっては「花」の歌詞に集約されているような気がする今日この頃です。

行き当たりばったりな何でも屋に見えるいまのキャリアも、これはこれで市場価値があるものなのだという気づきを与えてくださる方がいたり、最近も新しいチャレンジに参画させていただく機会をもらえて嬉しい限りです。

そんな27歳の宮川南奈も、どうぞよろしくお願いします!

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