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YAMI大学と、社会活動、NVCと私、私が必要としているもの。

日本はお盆・・・
昔は親戚で集まったり、キャンプに出かけたり。
子供の頃は何気に楽しかった。
今年はお天気が良くないため、我が家もキャンプを断念しました。
そんな時、
久しぶりに参加できた YAMI大学の深呼吸学部。

久しぶりだと 感覚的に、混ざりきれない惹き気味な自分を感じていたものの・・・(これは私の子供時代から持っているもの)
それらも 気にせずスッと仲間に入れてくれる温かさ。
自然な・・・
遊びに自然に混ざっていく子供の頃のあの感覚、その心地よさを味わっていました。

「石花」を積んでみる。
石を実際に組み立てると、色んなことに気がつく。
最初は 硬くて、ゴツくて、素材の違う違和感をもったもの同士がぶつかるような、全くいうことを聞かないただの石が、
心を向けて、その存在の声を聞くように私自身の意識を向けると変化する。
1つの石それぞれがしっかりと意思を持った存在に感じ、
その特性を感じ取り、
バランスをとりながら、寄り添うように重なる。
玄関先にあった子供たちが拾ってきた石が、
存在を持った物質であり、意識を持ったそのものであることに気付かかされる。
私は石に、魅了されているのだ。

重なるまで、幾度に声をかけてもらった 「こうするといいね」「すごいぞ」「こうするとかっこいいね」が、励みになり、
重なったその姿を、私 「愛おしく」感じ、眺め、魅了されました。
橘川さんが「崩れたら、何度でも やり直せる」そう言ったそれを耳にした瞬間に、一瞬時間が止まり、心奥にバイブレーションとして伝わった感覚。
今の私そのものを映し出すような、深さを感じました。
夢が破れたと思った出来事があっても、何度でも積み上げられる。
そこに散らばったのではなく、存在する。
それらの存在を大事にしたい。

そうそう、私たちは参加型社旗を目指しているので、
「〜しなければ」とか、
「今までは〜だった」を手放した、新しい関係性の構築に勤しむ仲間たち。
それはそれは、今まで経験したことがない関係性や組織、仲間とのつながり方を実践し行うには、不安や恐れが多く出現する。
あらゆる人生の中で培ったアイディンティティが制限を出したり、抵抗感を感じさせたり、いつものパターンに強力に引き戻そうとする。

私にとって、
何が大事で、
何をしたいのか。
私の命と常に向き合う。

感情の向く先は、相手ではなくこの構造に大きな力で飲み込もうとしていく社会に対しての怒り。
一人では向き合えないが、みんなで向き合う。
それらを、今夜も響かせた。
(コミットしていたことが重なって参加のスペースがありませんでした。またぼちぼち混ぜてくださいー)
***
毎週末開催のダイアズ瞑想。
「様式」や「型」にはまらない自由な ダイアズを展開しています。
毎回意図を持って、問いを作ります。
今週は、子供も頃の自分を広げて、
その生き生きさや、純粋さ、
私の本質を満喫しました。

これらの体験が、私の本質や本来のありたい自分を思い出し、生き生き生きる糧になったらうれしいです。
自由で解放されたその弾むような感覚を思い出すことで、いつでもその世界を堪能できる。

と、ここまで書いてみて
子供時代の体験が 全てが楽しい思い出とは限らない、そのことへ配慮とケアの気持ちを向けたくなる私もいます。
自分の当たり前が、全ての人の当たり前ではないことを自覚し、
子供時代と限定せずに 自分が楽しく弾んでいた時代、お母さんのお腹の中や子宮にいた頃の感覚、
それらが心地よい記憶でないのであれば、生命体の一部としてこの地球や宇宙の一部であると感じられた その人だけの大事な感覚としておきたい。
それら存在するもの全てに配慮を向けたい自分もいます。
子供の教育や企業、福祉の場面でこのダイアズ瞑想が生かされる時代はもうすぐそこ。
それらを目指して、仲間作りに勤しみます。
つながってくださった皆さんに感謝です。
また来週、気が向いたら、お会いしましょう♡

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