食事と人。

ご飯を一人で食べるのが嫌い。

そういう人は数多くいるだろう。

大学時代は地元から離れた都会で過ごし、その過程でできた彼氏と両親に内緒で同棲生活を送っていた私は就職と共に改めて独り暮らしを始めた。

引っ越しを手伝ってくれていた両親も仕事があるからと帰宅し、普段ならお腹が空いてくる午後5時半。

まったくお腹が空かないのだ。

よくよく考えたら、大学2年の夏から同性を始めてしまった私はご飯を一人で食べる経験がほとんどなかった。ご飯に関して、大学に入ってすぐはやる気に満ちていて、その日のご飯だって一汁三菜しっかり作っていた。そこから同棲が始まり、さらにやる気は加速した。

それがどうだろう、一人になった途端、空腹という気持ちをどこかに忘れてきてしまったようだ。

結局夜ご飯は食べなかった。

朝になってもやはりお腹は空かない。

元々身体が強い方ではない私は、こんな事をしていたらすぐに熱を出すだろう。新社会人、それだけは避けなければとスーパーに行ってみた。彼と見る食材はどれも美味しそうに見えた。今日はあれ食べたいね、でもこれ高いね、などと話しながら買い物をしたことを思い出す。

ところが、どの食材を見ても何も思わない。大好きなトマトでさえ惹かれないのだ。結局何も変えないままカゴを戻してスーパーをあとにした。

そんな帰り道、ある大手チェーンのファーストフード店を見つけた。

私の家族はファーストフードがあまり好きではなく、大学に入るまでほとんどファーストフードを食べる機会がなかった。大学に入って初めて彼と行った緑の看板のファーストフード店。

その看板を見つけたとき、これなら食べられるかもしれないと直感的に思った。そこで早速入店しチーズバーガーを注文。どうせなら豪華にいこうとオニオンポテトのセットもつけて。

「お待たせしました。」の声と共に運ばれてくるチーズハンバーガー。初めて彼と食べたときはとても美味しそうで、いいにおいで、実際とても美味しかった。

あのときの感情はどこへ行ってしまったのだろう。

匂いをかいでも、ひとくち食べてみても嬉しくない。不味くはないけれど、あのときの感動はない。

普段よりいいものを食べているのに、と思って気づいた。

彼と食事を共にしていたときは、何でも美味しかった。お互いお金がない時期があって、もやし炒めと豆腐のお味噌汁にごはんというなかなか質素な食事だったこともある。でもとても美味しかった。

食事は何を食べるかじゃない。

誰と食べるかなのだ、と。

もやし炒めだけのおかずでも、あれだけ美味しく食べられる相手がいる事は幸せだと素直に思った。

緑の看板にごめんね、と心の中で声をかけながら店を出た。今度は美味しいと思えるときに来るね、と。

ただ今は、彼のために料理の練習としてご飯を作って。勿体無いから食べる。そうやって食事をしていこうと思った。

何を食べても美味しいと思える人と、よりおいしいごはんを食べるために。

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