「良い人」は本当に良い意味なのか?
noteのヘッダー画像が急に横に長くなって、なんともちょうど良いサイズ感の画像が見つからなくなった。Twitterのヘッダー画像なんかも細かったりするけれど、このnoteのヘッダー画像の細さでも「良い」と思える写真を探すのは案外難しいかもしれない。
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「良いよね」なんていう言葉は何気なく使うし、正直心の底から「良い」ものと思っていることが多い。良いと思わないものに「良い」と言って相手に共感したりするのは、なんともいえないモヤモヤ感が残るものだ。
私はよく誰かのことを「あの人って良い人だよね」なんていう。
先輩のこと。先生のこと。同じクラスで少しくらいしか話したことがないけれど なんとなく雰囲気が柔らかい人のこと。
そんなに関わりのない人に対して使う「良い人だよね」は純粋に、「良い」という意味だ。
「良い人」という言葉の定義を明確に言葉で伝えることは難しいような気がするが、まぁ優しかったり、相手を思いやれる人だったり、礼儀正しかったり、、、みたいなことが雰囲気からにじみ出ているような人のことだ。あるいは、みんなからの人望があるような人のことだ。
だからこういう時に使う「良い人だよね」は褒め言葉だ。
自分より全然良い人だよね、自分なんかとは違うなぁあの人は、なんて意味も含まれているくらいだ。
けれど、深く関わったことがある人に対して使う「良い人だよね」は純粋に、「良い」という意味ではない。少なくとも私の中では。
正直「良い」という言葉でしか表すことができなかった程度の人だ。そこまで印象に残らない相手だったということだ。
相手のことを勝手に自分の尺度で判断して「良い人」かどうか判断するなんていうことは、自分勝手かもしれないし、自己満足かもしれないし、相手に対して失礼に値するかもしれない。
それでも私は、「良い」という言葉でしか表せない程度の人、という意味で「良い人」という言葉を使ってしまうことがある。
結局相手と今後長く付き合っていくかどうかなんて、自分の価値観で相手のことを見極めて判断するものだ。自分の意思で決めることができるものだ。
つまり自分だって相手の価値観でどんな人間か決められてしまうことがあるわけで、時には相手に嫌われたり避けられたりすることだってある。
それはしょうがないことだと思う。
「あの人のことどう思う?」なんて中高生時代は聞かれることは結構あった。
「あぁあの人?良い人だよね〜」
この言葉はある意味必殺技のようなものだ。適度に曖昧で。適度に相手に伝わりづらい。
そもそも相手が自分に対してこういう質問を投げかけてくるときは、
「あの人が良い人だからあなたにも共感してほしい」か「あの人のことが嫌いだからあの人は良い人じゃないよねということをあなたにも共感してほしい」
のどちらかだ。だいたい。だから相手の真意がわからないときは、正直誤魔化すのが1番良い時もあるんじゃないかなと思うことがある。
「良い人」という言葉で片付けてしまうのは相手に失礼かもしれないが、「良い人」という言葉は時には便利でサラッと言えてしまう程度の言葉だ。
うーんまぁ良い人なんじゃないかなぁ。そういうときはだいたい、「良い人」程度ということだ。
優しいとかすごいとか魅力があるとか礼儀正しいとかいつも周りのことを考えて行動しているとかまぁ「良い人」の基準や定義は色々ある。
でも「良い」という一言で相手のことを表せる時って、本当に「良い人」である場合と、何か特筆して挙げるような特徴はないけどなんとなく「良い人」だよね、の2種類があるような気がするのだ。
後者にはつい適当に言ってしまう「あぁ良い人だよね」も含まれる。
「良い人」かどうかは、私は特に大人に対してその判断をしてしまう。自分という人間に何かしらのことを伝えてくれたか、目に見えるものでも見えないものでも 何かしらのものを残してくれたか.....
本当に「良い人」であるというのならば、きっとその人との関わりの中に印象に残る何かが絶対にあったはずなのだ。
「なんとなく良い人」
そういう使い方で「良い人」という言葉を使うのは辞めようと思ったのが、今だった。
終わり。