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心はかたい方が強いのか やわらかい方が強いのか

最近起きた出来事でも書いておく。今日はいとこ達が家に来て、「こころ」を国語の授業でどういう風に教わったかの話で少し盛り上がった。ちなみにいとこは国語の先生である。
もう1つ最近起きた出来事を書いておく。水道の蛇口の取っ手(?)部分が取れた。レバーが外れたというべきか。レバーを上にあげ水を出そうとしたらそのままレバーが外れた。こんなことが現実に起きるのか......。
誰かが(機械が)はめた物なんだからはずれるに決まっている(?)いやそうなのか(?)1度はめればもう2度と抜けないものだってあるだろう。
良い意味でも悪い意味でもね。


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題名を見て「心がかたいってなんだよ!やわらかいってなんだよ!」と言われそうだが、言ってみれば"かたい"というのは(昨日までnoteで感想を書いていた「未来」に出てくる母親のような)人形のような人のことだ。
自分がこれ以上傷つかないように、心にナイフが刺さらないように、心を厚い壁で覆っている人。あるいは、心を石のように硬くしている人。感情が抜け落ちかけていて、動じない強さと言っても それはある種の不気味な強さをはらんでいるのではないか.....と考えてしまうような、そういうのが"かたい"である。

一方"やわらかい"というのは説明しやすい。いわば心の柔軟性だ。かたいのが石だとしたら、やわらかいのはクッション。いや低反発枕....?
柔軟に相手からの言葉の攻撃に対応することができる。自分を取り巻く環境の中で自身の感情の変化を受け止め、柔軟に対応できる....そんな人だ。
自分にプラスの言葉はすっと心に溶け込ませ、受け止める。自分を傷つけるマイナスの言葉には反発する。不必要に心が傷ついてしまうことがないように、その柔軟さで他者の言動に対応している。そういうのが"やわらかい"である。



心がかたい人と やわらかい人では どちらの心の方が強いのか?

そんなのどっちでもよくない??と言われてしまえばそうなんだけど。なんとなくどっちなんだろう....と思い始めたらメモを書く手が止まらなかった。

今はなんとなくだけど、後者の方が強い気がしている。前者は言い方を変えれば、ある程度の感情を捨てることによって、「自分を傷つけるかもしれない言動」から逃げているとも言えるからである。ただ逆に前者の状態に陥ってしまった人は、そうなるくらいまで とことん誰かの悪意によって傷つけられてしまったのではないか、、、とも思うのである。
心をかたくすることも柔軟にすることも、どちらもきっと「自分を守るため、自分の心がこれ以上傷つかないようにするため」にやっていることだと思っている。


人の心に踏み込めないのって、お互いに誰かに傷つけられたくないし、誰かを傷つけたくはないという気持ちが多かれ少なかれあるからではないか.....とも思うことがある。


ただやっぱり「傷ついた心はほぐしていった方が良い」という観点から見れば、後者の心の方が強いような気がしている。温かい言葉や自分が望む言葉をくれる人、言葉に重みがある人などに対しては心を開ける可能性が前者よりはあるような気がするし。「心をほぐす」というのは「より柔軟性がある」ということだとも言えるのかもしれない。


だいぶまとまりがなくなってしまったけれど、「心の強さ」がどういうものなのかを再度考えるきっかけとしたい。「メンタルが強い」なんていう人は、どういう人なんだろうか。それもまた、考えたい。



誰かの心に良い意味で刺さる言葉だけを口にしていたいけれどそれはやっぱり難しいから、誰かの心に悪い意味で刺さってしまう言葉を少しでも減らす努力をみんなにしてほしいよね、お互いに。そうしたらもっと人間同士が傷つけ合わなくて済む。人はこういうのを「綺麗事」と呼ぶ。


こんな日は、人間が嫌いになりますね。


終わり。