〜よりマシ と 〜するよりは良い の話
小さな課題が着々と積み重なって、私を苦しめている。
課題をやらされる、課題のために学ぶようなこの日々にも飽き飽きしてきたが、1発のテストで単位がもらえるか決まるよりは何百倍もマシだ。
そう思ってなんとかパソコンに手を伸ばしている。
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考えるより行動せよ。考えたって行動しなければ始まらない。考えるだけでは意味がない。
言い方は色々あるとは思う。
だがたまにこういう人がいる。
「行動しなきゃいけないのはわかっているけれど、考えないよりは考えるほうがマシでしょ。」
「少なくとも私は毎日何かしらについて考えているんだから、考えていない人よりはマシでしょ。」
とか言っている人。無意識に相手を下げることによって、さらに自分の価値を下げているような人。
まぁこの方がマシだから、やらないよりは良いよね、みたいな。
あるいはこういう人がいる。
「私はなかなか行動できないけれど、毎日の中で考える時間を持とうとしているからまだ良いだろう。何もしないよりは良いだろう。」
「私はまだ様々なことについて考えることができている。何もしないよりはずっと良いだろう。」
とか言っている人。
ほとんど似たような意味合いかもしれないけれど、時と場合によっては大きく意味合いが変わってくる2つだと思う。
些細な言い方で大きく意味が違ってくるときもあるだろう。
雰囲気だけで言えばなんだか「マシ」っていう単語の方があまり良い意味に聴こえなかったりするしね。
別にどこかの誰か(他者)を下げようとしているわけではないけれど、どちらも他者を意識してのことかもしれない。
あの人よりはまだマシでしょ自分は、あの人よりは良い時間の使い方できてるでしょ、みたいな。
別にそれがダメとは言っていないけれど、これをくせにしたくないなぁとは思う。
〜〜しないよりはマシでしょ。〜〜するよりは良いでしょ、みたいな考え方で、妥協を繰り返したくはない。
もちろん時には妥協も必要だけれど。少しの妥協が人生には必要なゆとりかもしれないけれど。
私の母はよく小さい頃から、将来役にたつかどうかもわからないことを勉強する理由を、
「知らないよりかは知っている方が良いでしょ。」
なーんて言っていた。まあいつも私はおとなしくこれに頷いていたし、このくらいの気持ちで勉強していれば色々余計なことを考えずに集中できるのかな、とも思っていた。
そうやって何かに見切りをつけたりちょっと妥協したりすることは、悪くないような気がする。
それでも最近思うのは、これができたら良いだろう、これがやれたら楽しいだろうと1番に思うことを実践できる思考力と行動力が欲しいなぁということである。
この2行だけでは綺麗事で終わりそうなので補足をすると、
自分がこれが良い、これが最上だ、と思ったことをやりたい、ということである。
言い方を変えれば、下を見たくない。
ほんの少し下を見てあぁこれよりはまだマシ、まだ良い方でしょ、と思うんじゃなくて
ほんの少し上を見て あぁもう少し上に行くために自分はこれだけは頑張りたい、これに追いつくためにもっと良いものにしていきたい、
なんていう風に考えたい。
もちろん全ての物事をそう考えることなんて無理だし、全てをそう考える必要はないけれど、
劣っているものと比較するのではなく優れているものと比較したい。
そう考える時間を増やしてみたい。それをプラスに変えてみたい。
そんな風に思っている。
妥協は必要だけれど、1歩後ろに下がったら2歩前に進みたい。
ちなみに最初の余談で「マシ」を使ったのは、わざとである。
終わり。