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未来の自分は笑っていますか 3

湊かなえさんの「未来」を読んだ感想。今日で最後。

今日は主人公の章子と親友の亜里沙について書く。2人の共通点は暴力を振るわれていた経験があること。学校という場所が自分に合わなかったこと。

444~445ページ(ラストの内容)

「いや、助けを求めよう。世の中には、ちゃんと話を聞いてくれるおとながいるんでしょう?日本中からこれだけの人たちが集まってきているんだよ。子どもが多いけど、ちゃんとおとなもいる。心から訴えれば、誰かが耳を傾けてくれると思わない?」(中略)
さあ、叫ぼう。いつか、笑顔で夢の国のゲートをくぐることができる、未来のために ––––。

こんな文章でこの物語は終わるけれど、2人のことを助けてくれる大人は現れるのだろうか?篠宮先生も彼女らを助けることができなかった。亜里沙の父親は問題外だ。章子の本当の父親はもうこの世にはいない。いるのは生きてるうちの8割が「人形」の母親だ。
ただこの人形となって過ごしている母親のことを思うと胸が痛いような気もしている。小さい頃から性的虐待を受け、売春をさせられ、味方になってくれるのは結婚した父親だけだった。自分がもうこれ以上傷つかないためには、自分の身を自分で守るためには、心を殺すしかなかったのだろう。
母親のことを助けてくれる大人もまた、いなかったのだろう。一見助けてくれそうに見えた林先生はヒーローを気取っていただけだったのだろうか。自分の弱さを隠すために、正義感を振りかざして しまいには母親に一方的に恋をし、最後にはストーカーにまでなった。

助けてくれる大人というのは、意外といないような気がしている。子どもが誰かに助けを求めたって、「自分は虐待していない!」なんていう風に親が言えば、子供を助けてくれるような組織も手を出しづらくなるだろう。子供たちが自分のことを外部に漏らせば、もっと逆上して暴力や虐待が増えるかもしれない。

子供たちを救ってくれる大人は、この世には全然足りないんじゃないだろうか?そんな気がしている。
教師は子供を育てるだけではなくて、「子供を救う大人」でもあってほしいと願ってしまうのは、私自身のエゴなのだろう。


🔁


章子と亜里沙は、重い荷物を分け合っていた。

重い荷物を分担していた2人だからこそ、強くなれたのだろうか。1人じゃなかったから、相手の存在があったから、救われたということもあったのだろう。
1人じゃ抱えきれない悲しみも、2人で分け合えば軽くなる.....っていうのは綺麗事かもしれないけれど、助けてくれる大人がいないときに、相手を殺すのでもなく自殺を選ぶのでもなく、「生きる」道を選ぶ意思を持たせてくれる友達がいることは幸せなのではないか、とは思っている。


まぁ最終的には2人は相手を殺してから大人に助けを求め、未来を切り拓こうとしていくわけだけれど。
なんにしろ、「守りたいものがある」、「守りたい人がいる」というのは強くなれる理由なのではないだろうか?自分以上に大切にしたい人がいる......これは「死ぬこと」を選ばない理由くらいにはなるのだろうか。
亜里沙は弟の健斗を守りたかった。章子はすべての事実を知った上で、母親を守りたかった。母親は章子の父親(良太)を守りたかったし、章子のことも守りたかった。良太は母親(文乃、真珠)を守りたかった。林先生は母親を守りたかった。篠宮先生は生徒を守りたかった。原田くんは篠宮先生を守りたかった。健斗は亜里沙だけは守りたかった。実里は母親を守りたかった。良太は誠一郎を守りたかった。


誰かの誰かに対する気持ちが溢れているような物語だった。1つ1つの思いが消えていくような気がして、とても悲しかったけれど。

「未来」という題名の通り最後には「未来」が見えるのか??と聞かれれば見えないような気もしている。ほんの少しの一筋の光が見えそうで見えない気もしている。
「未来からの手紙」を書いてくれるような存在が、彼らに明るい未来を届けることができるのだろうか –––––。






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