兎月夜のウサギの手品【シロクマ文芸部】
十二月の月夜の公園のベンチで僕はあの子を待っていた。
兎の帽子をかぶっている女の子。
初めて会った十月はこんな寒くなかった。まだ銀杏の木が色づいた葉っぱをたくさん枝にたたえていて、それは昔風の黄色い灯りのように広場を明るくしていた。
ランニングの途中でその広場のほんものの街灯の下のベンチに座って、僕は一人で手のひらから赤いスポンジのウサギを出した。手品のウサギ。手のひらを結んで開いて。すると小さいウサギが増えていく。
それは買ったばかりの手品グッズで、走る手の中にそのウサギたちをしのばせていた。ひみつをにぎって走るのはワクワクする。
いつのまにか目の前にしゃがみ込んで熱心に僕の手とウサギを見つめている女の子がいた。長いウサギの耳のついた白い帽子をかぶっている瞳の大きい可愛い女の子だ。中学生くらいだろうか。
ギャラリーができたので僕は少し見やすい向きにして手の上のウサギを増やしてみせた。
「うわぁ」
ウサギ帽子の女の子は目をきらきらさせて小さく歓声をあげる。僕は今まで誰にも自分の手品を見せたことはなく、家族も高校のクラスメイトも僕が手品をするなんて知らない。
彼女は初めての観客だ。
「手を出して」
僕がいうと彼女は手のひらを僕の前に広げる。
そこに小さなウサギたちを乗せる。
「手を閉じて」
女の子がウサギをにぎって手を閉じる。
「大きくなぁれ」
僕はそういってから「手を開いて」と声をかける。
開いた手には大きなウサギ。
「おしまい」
僕は大きな赤いウサギを指でつまみあげた。
女の子は、ほぉっと一つ息をついて、名残惜しい夢からさめたような顔をした。と思った。だって僕は人のそんな顔を見たことなんてないのだ。ただそんな風に思ったのだ。
女の子は笑顔でぱちぱちと手のひらを叩いた。
僕は立ち上がり、お辞儀をした。
拍手が少し大きくなった。
「赤いウサギさん、何匹いるの?家族なの?」
女の子が小さな声でたずねる。
「5匹だよ。大きいのがお母さん、あとは姉妹なんだ」
僕は適当に答える。
女の子はまたどこかからウサギが出てこないかと、ちらちら僕の方を見ている。もう一度手からウサギを出したくなるのを我慢する。
「またここでウサギの手品する?」
女の子がきくので僕はうなずいた。
「満月の夜にね」
「また来る!」
女の子はそういうとぱっと走って行ってしまった。
僕は仕方なく、次の満月の夜、同じベンチにウサギを連れて立ち寄った。
女の子はまたウサギの帽子をかぶって待っていた。
僕は先月と同じように赤いスポンジのウサギを手の中で増やしたり大きくしたりして見せた。これはそれしかできないのだ。
それでも女の子は先月と同じようにじっとウサギを見ていた。
終わると熱心に拍手をした。
僕は正直いって、この一か月でウサギの手品に飽きていた。
「ねえ、このウサギあげるよ」
僕がそういうと女の子はびくっとした。
「えっ。だって…」
そういって、さっきウサギをにぎった自分の手をひろげてじっと見た。
そこにどうするべきか、書いてあるように。
でも何も書いてなかったらしく、だまって手を出した。
僕はそこにウサギを乗せた。
ポケットから出した説明書も渡した。
そして思い付きでこういった。
「それあげるから、今度は君が練習してきてやってみせてよ」
女の子は大きく二回うなずいてから
「ありがとう」
と言ってまたぱっと走って行ってしまった。
彼女は来るだろうか。
赤いウサギを握りしめて。
またウサギの耳の帽子をかぶって。
僕は気のないふりをするためにスマホを手にしていた。
彼女がウサギの手品をするところを写したらどうだろう?
「こんばんは」
初めて挨拶しながらウサギの帽子をかぶって彼女が現れた。
「かわって」
彼女は僕と入れかわってベンチにすわり、僕が前にしゃがみこむ。
彼女は黒いスカートの上で小さな手をにぎっている。
そしてぱっと開いた。中から白いウサギが一羽。
あれ?白?
もう一度にぎって彼女がにぎった手にふっふっと息をかけて開くとウサギは二羽に。
もう一度にぎってまたふっふっふっと息をかけると三羽。
もう一回繰り返して四羽。
さあ次は大きなお母さんウサギになるはずだ。
なかなか上手だな、でもなぜ白いのだろうと思いながら僕はじっと見る。
彼女は今度は息を吹きかけない。
「月夜の兎、兎月夜に星五つ」
細い声で歌うようにつぶやいて手を開くと
そこには赤いスポンジの大きなお母さんウサギではなく、
つやつや銀色の毛をした小さな小さな花豆ほどの兎が五羽眠っている。
「兎月夜に星六つ」
手のひらの、銀色の豆兎は六羽になった。
「兎月夜に…」
彼女の歌は繰り返されて手の上の月光のような白銀の兎は手のひらに溢れそうに増えていく。ああもうこぼれて足元の草むらを飛んで行く。
「兎月夜に星は銀色、兎も銀色…」
彼女がぱあっと手を空にかざすと兎は空へ駆けていく。
ああ、あの兎は星になるのだな…と僕は呆然と考える。いや、考えるなんて無理だった。ぼんやりとぼんやりとした頭で彼女はきっと兎なのだななどと思っていた。だって兎の耳があるじゃないか。
月が眩しい星が眩しい外灯の光が眩しい…僕は眩しさに目を閉じた。しばらくしてゆっくり開く。
そこは静かな12月の月夜の公園だ。
僕は一人でベンチの前に立っている。
ベンチの上にはスポンジのウサギが置かれている。
僕が買った手品セットのウサギだ。小さいウサギが四羽。大きいウサギが一羽。
でも赤かったそれは銀色じみた白になっていた。
僕はそれらをそっと手の中に集めてにぎる。ひんやりしていた。月みたいだ。
そうだ、スマホで写しそこねてしまった。
僕がスマホの暗い画面をみると、大きな満月と散らばる銀の星が映っていた。
(了)
*小牧幸助さんの企画に参加しています。
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