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池澤夏樹『きみのためのバラ』新潮文庫

2008年に読んだものを再読。読みたかったのは最初の短編で、閉店間際のレストランで、それぞれ疲れる一日を送った男と女が少し離れて食事している。食事のあとなんとなく会話が始まるのだが、別れ際に女が「あなたの牡蛎の食べ方も、すごくおいしそうに見えたわよ」と男に言うのだ。そのセリフだけとてもよく覚えていた。ひとりで食事するときにわたしはどんな顔で食べているんだろうか、と思った。

再読して、確かにその短編は良かったけれど(少し片岡義男っぽい?)、あとはこないだの『夏の朝の成層圏』でも思ったように、景気がよかった時代の気楽さが気になって、あまり感心しなかった。ところが2008年にこれを読んだときの自分はとてもいいと思ったらしい。たぶん自分が海外生活を終えて日本に帰ってきてから時間がそれほどたっていなかったからだろう。まだ引きずっていたのだ。そのときの感想メモを下に写しておく。14年前の自分だ。

「短編が8つ。どれも旅に関係するもので異郷にいるという経験がいろんな形で現れている。

特に共感したのはささやかな遺産が入ってパリで半年暮した男の話、「人生の広場」。広場にいる間は次にどちらの方向に進むかをとりあえず決めないで、まわりの人々を眺めたりして楽しんでいられる。わたしの海外生活もそういうものだったと思う。他にも飛行機に乗れないで終った一日の終りの食事風景を描いた「都市生活」とか、カナダに来た日本人の青年の話、「20マイル四方で唯一のコーヒー豆」とか。折口信夫の「死者の書」を彷彿させるような「連夜」もたいへんよかった。

異郷にいるからこそ感じる不安と安らぎがある。生まれ故郷を離れ絶えず移動する人生には良い面も悪い面もあるが、それをするしかないタイプの人間がいるんだと思う。そしていったんそういう人生を始めてみると、その後どんなに長く一カ所に住んだとしても、そこもなぜかいつまでも異郷のままなのだ。」

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