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身体の内部から生命力が湧いてくる__Vol1011


今週の教育新宝島は、向山洋一氏の「ハーモニカ」指導。

先週の商店街の指導は、想像をはるかに超える壮大な指導でした。
今週のハーモニカの指導は、想像をはるかに超える小さくも偉大な指導でした。
それは、まるでズームアウトandズームインで見た美しい美しい世界のようでした。
https://www.youtube.com/watch?v=paCGES4xpro&t=474s
ズームアウトの世界も、ズームインの世界も美しい
圧倒的な美の世界への旅

┌<引用>────────────────
まさにスモールステップです。
それも「超」スモールステップです。

谷和樹の教育新宝島 vol.42 / Part1 2024年9月20日発行
編集/発行元:向山洋一教育技術研究所
└────────────────────

向山氏は、「跳び箱は誰でも飛ばせられる」の中で「わずか10秒足らずの開脚跳びの動きを、10にも20にも分解して説明できてこそ、専門的技量があると言えるのである」と言っています。
ハーモニカの吹き方を、10にも20にも分解して説明できるからこそ
超スモールステップ指導が生まれるのですね。
今回の超スモールステップの凄さを谷氏が解説しています。



教師になってから、「美」という言葉を聞いたのは、向山氏と出会ってからでした。

谷氏は、向山氏のハーモニカの指導の序盤で、次のような指導が入ると推測していました。

┌<引用>────────────────
おそらく、このあたりで
個別評定
を入れるでしょう。
列ごとに一人一人吹かせます。
「上手!」
「合格!」
「いい音だね!」
等々、
ほめて、ほめて、ほめまくる。
ことが大切だと思います。

谷和樹の教育新宝島 vol.42 / Part1 2024年9月20日発行
編集/発行元:向山洋一教育技術研究所
└────────────────────

「ほめて、ほめて、ほめまくる」
向山氏が、4年生のダンスの指導をした時の文章に紹介されていました。
「ほめて、ほめて、ほめまくる」は、「ほめて、ほめる」のとは違います。

今日は、授業でうんと褒めることができたな〜と思う時でも
「ほめて、ほめる」レベルに届くか届かないかです。
それでも、全力でほめることができた時には、教室中に活気が生まれます。
休み時間になっても「先生、みてみて」「先生、聞いて!」と押し寄せてきます。

しかし「ほめて、ほめて、ほめまくる」はちがうのです。
ダンスの側転指導を語る中で、向山氏は次のように言います。

┌<引用>────────────────
事実、私はこの指導「ほめて、ほめて、ほめまくること」しかしなかった。とりわけ、ほんのかすかに、側転らしいものをやっている、おどおどした子どもたちには、ほめまくった。
「それでいいんです」「とってもきれいですよ」「この前より何倍もきれいになりまいた」
子どもたちは、このようにはっきりした言い方で、断定的にほめられると
顔をぱっと明るくする。見ていて、実にかわいく美しい顔である。
ほめられて、ほめられて、ほめられているうちに、子どもたちの身体はのびのびしてくる。
身体がちぢこまっていたがなくなってくる。
それは本当に、身体の内部から生命力が湧いてくるように、美しい表現になってくるのである。

向山洋一「授業の腕をみがく」明治図書p88
└────────────────────

ほめて、ほめて、ほめまくっていると、子ども達の内部から生命力が湧いてくるように「美しい表現になってくる」とあります。それは、技の本質をとらえた習練された美しさという意味ではないのです。
向山氏は、教育の美について次のように語っています

┌<引用>────────────────
必死の子どもたちのそのままの姿を、「美しい」と感じられることが、教育における「美の追求」の出発点なのである。

向山洋一「授業の腕をみがく」明治図書p91
└────────────────────

「それでいいんです」
「とってもきれいですよ」
「この前より何倍もきれいになりまいた」
この言葉は、子ども達の表現に対して投げかけられているようで
そのままの子ども達に、投げかけられているのです。

3  目標に浸る宝島タイム
技術をもって指導する
子ども達のそのままの姿を「美しい」と感じほめてほめてほめまくる指導をする
遥か遠く見える目標です。
宝島を読んでいるとその目標がくっきりと見えてきます。





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