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200時間目の全集中の呼吸で学んだこと

今年の年末、ヴィパッサナー瞑想という瞑想合宿に行ってきました。このコースでは、1日10時間瞑想し、ご飯は菜食、人とは喋らず沈黙を守るという生活を10日間行います。

2年前に会社の社長に誘われて、京都のコースに参加しましたが、今回は千葉で開催されるコースに一人で参加。元々コロナで開催自粛になっていたのですが、最近再開され参加することができました。

今回はそこで学んだことを書き記すことにします。(前回参加した際の記事は以下でござる。)

ヴィパッサナー瞑想とは

瞑想法にはいろんな種類がありますが、ヴィパッサナー瞑想とは、ブッダが悟りを開いた瞑想法です。正式な説明はHPを引用します。

「ものごとをありのままに見る」という意味のヴィパッサナーは、インドの最も古い瞑想法のひとつです。この瞑想法は2500年以上も昔、インドで、人間すべてに共通する病のための普遍的な治療法、すなわち「生きる技」として指導されました。

日本ヴィパッサナー協会」より

怪しい宗教じゃないの?

1日10時間人とも喋らず瞑想するなんて、普通に考えたらやばそうですが、このコースをうけると、この瞑想法がいかに現実的な技であるかがわかります。

例えば、このコースの参加者で瞑想中に「神を見た」と言う人がよく出るという話があるのですが、それに対し瞑想の講師であるアシスタントティーチャーは

「それはあなたがイメージしている神であって、実際の神ではない。例えば、インド人はインドで有名な神を、西欧人は西欧で馴染み深い神を見ます。つまり、自分のイメージでしかないのです。」

といわれます。

ヴィパッサナー瞑想はインドで生まれた瞑想法ですが、あらゆる宗教を認めています。ここで説かれるのは宗教ではなく、ブッタが説いた自然の法を教わるのです。

実際、ブッダは宗教を作ったわけではなく、ただ自然の法を教え、瞑想によって悟りを得よと伝えられました。その教えを正しく広め営利的な目的に使われないために、コースは全て寄付で開催され、参加費用は請求されません。運営も過去の参加者によって実施されます。

まずは全集注の呼吸から

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具体的には、コースの最初の3日間はアーナパーナという呼吸法を実践します。これは鼻の呼吸を観察する瞑想です。ただ、鼻の呼吸を1日10時間観察します。ただ観察するのです。まさに、全集中の呼吸です。

ただ、鬼滅の刃で登場する全集注の呼吸と違うのは、意識的に呼吸するわけではないことです。ただ、自然に鼻から入ってくる息、出ていくいく息を観察します。また、マントラや何かをイメージすることもしません。

客観的に呼吸を全集中力を持って観察します。

ヴィパッサナー瞑想の実践、そして常中へ

3日過ぎるとついにヴィパッサナー瞑想に入ります。これは体の感覚を観察する瞑想です。最初はほとんど体に感覚を感じないですが、体の痒みや汗、服と触れ合っている部分を観察していくと、だんだん体の部分的な感覚に気づいていきます。

ナルトで言うチャクラのようなイメージでしょうか。体に感覚が生じているのが認識できるようになります。

それができるようになると、頭から足へ、足から頭へ流れるように感覚を感じられるようになります。また、コースの終盤には、歩いている時も、食べている時も常に感覚に気づいているように言われます。

まさに、鬼滅の刃の全集中の呼吸の「常中」です。ハンターハンターでゴンとキルアが師匠に言われるように、修行中に「」を怠ってはいけないのです。

なぜ呼吸と体の感覚を観察するのか?

1回目に京都で参加した時、鼻の呼吸を観察し、体の感覚を観察する瞑想法のことは理解したものの、それにより苦しみから解放されるのかあまり腑に落ちていませんでしたが、2回目の参加でかなり納得感を得られました。

ブッダは苦しみから解放されるため、瞑想を実践し続けあることに気付きました。それが、全ての苦しみは無知による反応から生じ、反応は体に現れることを悟ったのです。

ブッダは人間の苦しみのプロセスを以下のように悟りました。

「無知によって、反応が起こる。反応によって、意識が起こる。意識によって、物と心が起こる。物と心によって、六つの感覚器官が起こる。六つの感覚器官によって、接触が起こる。接触によって、感覚が起こる。

感覚によって、渇望と嫌悪が起こる。渇望と嫌悪によって、執着が起こる。執着によって、生成のプロセスが起こる。生成のプロセスによって、誕生が起こる。誕生によって、老と死が起こる。

そして嘆き、悲しみ、心と体の苦しみ、諸々の困難が起こる。こうして、ありとあらゆる苦が生じる」

ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」より

ヴィパッサーナー瞑想では、例え体の感覚に不快な感じを抱いても嫌悪することなく、平静さを保つよう繰り返し指導されます。つまり、体の感覚に対して、反応することを止めれば苦しみは生まれず、さらに過去の苦しみ(心の条件付け)も洗われていくのです。

無常の真理を体を通して知る

感覚を観察すると、一つとして同じ感覚がないことに段々気付きます。物理学で物質の最小単位である素粒子が一秒間に10の22乗回生成と消滅を繰り返しているという真理を、瞑想を通して学びます。

全ての物は生まれては過ぎ去っていく、無常(アニッチャ)の真理を知るのです。

日常生活では、反応の連続です。人の過ちや、自分と反する価値観に触れると人は反応してしまいます。反応し、怒りに支配される人を見ると恐ろしくなります。そして自分自身もそうなってしまっていると考えるとさらに恐ろしくなります。

それらの反応の元となるのは、過去の経験による条件付けです。過去に教わったこと、生まれ育った環境、辛い経験、文化や宗教がその人の正義 / 価値観となり、自分という思い込みを形成します。

それに執着することが苦しみを生みます。その事実(無知)に気付き、客観的に捉えることが、このヴィパッサナー瞑想と言っていいでしょう。

頭で分かっていても、なかなか自分は変えられないものです。「ついかっとしてしまう」「頭ではわかるけれど、認められない」というのが当たり前です。

だから瞑想して訓練するのです。日々接する物事に対して、生じる鼻の呼吸の乱れと体の感覚に対して、嫌悪することなく客観的に捉え、常に平静であること。そうすれは、過去の条件付けから解放されるのです。

2年前に瞑想を初めてよかったこと

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(今回過ごした個室の部屋、瞑想用の椅子もあります)

1回目にこのヴィパッサナー瞑想をして、今回2年ぶりの参加となりました。振り返ってみると、瞑想を実践する前と後では、かなりポジティブになり、やればなんとか成し遂げられるだろう、という成長マインドセットがついた気がします。

瞑想を実践する前は、自分に自信がなく、キャリアにおいても不安なことばかりでした。休学してデザイナーとしてのキャリアを歩み始めましたが、成功体験も少なく、駆け出しでいきなり実践でわからないことばかり。2年休学して、復学した後の就活も不安でした。

何かと経験をしたから、自信がついたと言うのもあります。揉まれながらもデザイナー就活をやり切り、なんの計画もなしにバックパックにPCを入れて世界を旅できた(帰国した途端世間はコロナになった)ことも含め、「なんとか乗り越えられる」という感覚がつきました。

それでもこの後の人生にもいろんな大変なことにであるでしょう。そして、辛いことも、うれしいことも、過ぎ去っていく。

「これもまた過ぎる」という無常の真理を忘れなければ、こころに平静さを保つことができるでしょう。全てはやってきてはすぎていくのです。

さいごに

冒頭で、瞑想している時にみる神は、自分のイメージでしかないという話をしました。では、神は何かというと、神は自然の法であり、愛であると講話で教わります。

今の世の中は物質的に豊になりましたが、それでも苦しみはなくならず、特に精神的な苦しみはより大きくなっているように見えます。SNSは情報を広めたようで、個人に最適化されたアルゴリズムにより、偏った情報ばかり集めてしまっています。

Instagramではきらびやかな生活に溢れ、自分もそうならなくてはいけないと焦ります。アメリカ大統領選では、トランプ派かそれ以外かといったように民主主義が分断を引き起こしてしまっています。コロナウイルスはそれに拍車をかけるように世界を分断してしましました。

一方で、良いと思っていたが実は悪い側面もある、変えて行かなくてはいけないという流れになっているのも事実です。私たちは、物によっては満たされません。共に生きる人との繋がりこそが幸せを育むということも多くの人が感じていることだと思います。

そんな中、自分が正しいと思っている価値観 / エゴを守るために他人を傷つけていないか、愛情を持って行為であるかに意識的でありたいと思うばかりです。瞑想はそれに気付くための生きる技だと今回学びました。

生きとし生けるものが幸せでありますように。そして、少しでも多く愛を感じられる瞬間が世界に増えますように。この記事を読んだ人が瞑想を実践したり、10日間のコースを受けることで心の平静さを育むことを願っています。


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