綺佳

30歳代。夫、同い年。子ども小学生二人。 義両親と同居。 父、継母とは2年に一度くら…

綺佳

30歳代。夫、同い年。子ども小学生二人。 義両親と同居。 父、継母とは2年に一度くらいしか会わない。(ほんとは絶縁したい) 弟とは、わりと仲良し。 産みの母は、顔も知らない。

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    EXITの2人のをとりあえずまとめてあるやつ。

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幼少期のはなし

いつの頃からかはっきりは覚えてないのだけど、気づいた時には継母は、私にとって恐怖の対象になっていた。 保育園に連れていってもらえない、というのもそのはじまりの一部ではあったと思う。 その頃から、継母は私にはたいしてことあるごとに体罰をくわえるようになっていた。 理由は些細なこと。要するに継母の虫の居所が悪いかどうか、だったが。 その体罰も最初は手で叩くだけだったのが、 自分の手が痛いから、という理由で布団叩きのような棒で叩かれることが増えた。 細い硬い棒で叩かれる

    • 4人家族になって

      いきなり4人家族として暮らしはじめた時、弟はまだ生後3ヶ月くらいだったと思う。 あと猫が一匹いた。茶色のしましまの猫。 覚えているのはそれだけ。 年長になって、保育園に通いはじめた。 朝、自力では起きれないことが多くて、継母に毎日のように怒られていた。 でも五歳の私はなかなか自力で朝、起きることができなかった。 朝、8時までに起きれないと保育園に連れていってもらえず1ヶ月近く休んだこともあったように思う。 父は、朝早くに仕事で家をでてしまうのでそんなことは何も気

      • 継母と弟

        祖父母から突然、引き離されて連れて行かれた家は、関東の工業地帯の近くにあった。 玄関をはいると、ようこそ、と私を歓迎する言葉と飾りつけがされていた。その色とりどりの折り紙で作ってあったたくさんのわっかをいまでも思い出せる。 父と継母とはお互いがバツイチ同士の再婚だった。 私は父の連れ子として一緒に暮らすことになり、連れられて行った家には継母、そして、生後3ヶ月の弟がいた。 弟は、私の4歳下で、所謂、異母姉弟となる。 そして、私にとっては、いきなり祖父母と引き離されて

        • 祖父母にそだてられて

          生後半年で祖父母に預けられた私は、曾祖母と祖父母とともに幼少期を過ごした。 あまりはっきりした記憶はないが、従兄弟たちとの写真、動物園、遊園地、たくさんの写真が残っているのをみると、可愛がって育ててくれたのだな、と思う。 その生活が終わるのは4歳の時。 父が継母と再婚することになったからだった。 祖父母との別れの日のことは覚えている。 空港で、号泣する私を見てガラス越しに祖母も泣いていた。それだけは覚えている。 当時の私からすれば父も年に数回しか会わない他人なのだ

        幼少期のはなし

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          最初の記憶

          自分のいちばん、幼い頃の記憶は4歳の時。 祖父母の家で飼ってたマルチーズがどこかの家にもらわれて行った日のこと。 なんでもらわれっていったのかも覚えてないのだけど、とにかくそのマルチーズとお別れして悲しかった、という記憶だけが残っている。 私は、生後6ヶ月から、4歳まで祖父母に育てられた。 祖父母の家は、九州の海沿いの街。 家は、山の上にあって、2階の部屋からは海が見えた。 私は、実の母の顔を知らない。記憶にはないけど、私は東京でうまれた。 そして、顔も知らない

          最初の記憶

          家族についての雑記

          今までずっと文章にしたかったけど出来なかった私の生きてきた今までを書いてみる。 初回なのでざっとプロフィール。 現在、30代。旦那、小学生の子ども2人。 都内からは車で3時間くらいかかるちょっとした田舎に義両親と円満同居中。 私の自身は、父、継母、弟の4人家族。 私を産んだ実の母は、顔も知らない。 主に私が生まれてから、一人暮らしをはじめて、実家から、逃げ出すまでの虐待の日々を雑記として書きます。

          家族についての雑記