
ミスiDにエントリーするまでとこれから
セミファイナル期間もあと少しになってしまいました。
エントリーしたのは多分5月なので、もう半年ミスiDに出場していることになります。
そうなってくると、正直、エントリーした時から学んだことや考えたことがまた増えてきました。
ということで自分の振り返りの意味も込めてミスiDについて最初から考えてみます。
ミスiDを知ったきっかけ
まず、以前noteに書いたのと重複しちゃいますが、ミスiDを知ったきっかけは過去にミスiDを受賞している文月悠光さんがcakesの連載「臆病な詩人、街へ出る」でミスiD出場の話をされていて、「詩人の出るアイドルオーディション」って面白いな、と思ったのがきっかけ。
カメラテストでこんな人が存在するんだ、、と思った人は本当に沢山いた。
水野しずさん、香椎かてぃさん、ほのかりんさん、ぱやちのさん、黒宮れいさん、エアインさん。
その中でも戸田真琴さんとの出会いが本当に大きかった。
たくさん書きたいんだけど、今年はその戸田さんが選考委員をされているので、戸田さんについて書いた文章載せておきます。
「いいよ」を言われたいし、言える大人になりたい。
エントリーした理由とも被るけど、ミスiDに惹かれる理由をずっと最近考えていた。
わたしがミスiDに惹かれた最大の理由は、みんなが許されていることだった。
わたしはミスiDに対して2つ気持ちを持っていて、
ひとつは、出場者として「いいね(いいよ)」と言ってもらいたいという気持ち、
ふたつめは審査員の方のようにどんな人にも真っ直ぐ「いいね(いいよ)」と思っていたいという気持ちだった。
ある意味前者は「こども」として、後者は「おとな」としての視点かもしれない。
ひとつ目は、多分ミスiD出場者の多くがそう思っているように、自分の短所のせいで上手くいかない生活の中で、長所を照らしてほしい、という気持ちだ。
そして、実はふたつ目の気持ちがわたしの中で大きかった。
社会的に見て「おとな」と言われるようになってから、段々自分の中にクレーマーのような存在が生まれるのを感じていた。
「もっとちゃんとしなさい」と大人からも心の中の自分からも指示される中で、他人に対しても苛立つことが増えていた。
それはむかしより時間や心の余裕が無くなってしまったこと、我儘な大人に沢山出会って指摘されてきたこと、
最低だけど、自分が以前指摘されたことを出来ていない人を見たら安心する、
ということもあったかもしれない。
そんな中でミスiD審査員の方々は尊敬や憧れ以上に、もはや希望だった。
審査員の方々も、ご自身の中に生きづらさを抱えている方が多い。そして、それを生かして生きている。それだけでも尊敬憧れ、なのだが、わたしにとって希望なのは、そうして社会と(私から見れば)上手に付き合っているのに、上手に付き合えない人に優しいところだ。
それこそミスiDにエントリーしてくる女の子達へ、心から「いいね(いいよ)」と言ってくれている。
というか「いいね(いいよ)」どころじゃなく同じ目線で向き合ってくれているなと感じる方もいる。
そんな大人の方々がいることが私にとって希望なのだ。
わたしは社会と上手く付き合えるようになれば、その分横柄に、他人の失敗を許せなくなってしまうと思っていた。
それは、自分も許せないまま生きていくことと同じだった。
何故なら、人は他人の気持ちは想像することしかできないので、卑屈な人は優しい人の言葉も卑屈に捉えるし、優しい人は卑屈な人の言葉も優しく捉える。
卑屈な人も優しく捉えられると、その人に対しては優しい自分になれる。
だからわたしはいいね(いいよ)、と言ってもらいたいと同時に、いいね(いいよ)、と言える大人になりたい。
「審査員の方々は素敵な大人の方ばかりなので、つまらない大人になってしまう前に応募します」
とエントリーシートに書いた。
カメラテストで小林さんが、
「つまらない大人になってないと思いますよ」
と言ってくださった。
すごくすごく嬉しかった。
でも、実は心の中で
「あれ?でもわたし実は自分がつまんない奴だと思ってないな〜」
と気づいた。自分でも意外だった。
それからずっと考えていて、「つまらない大人」というより、「いいよ、と言えない大人」になるのが怖かったのだと気づいた。
ミスiD以降のわたし
カメラテストでは小林さんに「言葉がすごく良いよ」と言っていただいた。
正直思ってもみなかったことで、嬉しかった。
カメラテストを前に、自分がミスiDに存在する意味を考えてつくりました。
— みつ季 ミスiD765 (@mimitsuki__) August 29, 2020
自分のこと美化しすぎだし、痛いと思われるかもしれないけど、やらないよりはマシと思ってあげます。
明日がんばります。
がんばるきっかけをもらえたから、全力で返します。#ミスiD2021 pic.twitter.com/CXjQNN56Mi
わたしがミスiDに挑む上で武器らしい武器などなかったけど、あえて言えば学生時代ずっと続けてきた歌だと思っていた。
カメラテストで歌手になりたいとも考えているのか?と訊かれて「歌には思い入れがあります」とだけ答えた。
もし「ベストセラー作家になる」と「武道館でライブ」どちらかの夢が叶うなら、迷わず武道館だ。
わたしは実は目立ちたがりで、舞台が好きで、学生時代、舞台で歌いながらこのまま死んでも幸せだなぁと思っていた。
でも、もし文章の方に活路が見出せるのなら全然そっちを頑張りたい。
わたしの目標は、エントリーシートにも書いたように、上手に社会や他人と繋がる手段を手に入れること。
もし文章で、繋がってゆけるのなら、そんなに嬉しい事はない。
どんな表現にも、根底にはその人の哲学があると思う。だから、どんな表現としてあらわれたとしても、私が私である限り、歌でも文章でも伝えられる事は同じなのだ、多分。
だったら伝わりやすい方が良い、という考え方もあると思う。
ミスiDに挑む理由
ダメ元で受けたらセミファイナルまで来られてしまった。だから、正直ここまで来た時のメンタルまで考えていなかった。
もし文章は良いのにビジュアルが足を引っ張ってファイナルに進めないのなら、わたしは何故ミスiDにエントリーしたのだろう、と思っていた。
多分、ミスiDにエントリーした合理的な理由をわたしは見つけられない。
ミスiDが好きな理由は書いた通りだけど、わたし自身が出場する理由は、言い訳は、見つけられなかった。
好きだから、という理由だけだった。
目立ちたいわけじゃない。有名になりたいわけじゃない。
今までのミスiDに出ていた憧れの女の子、審査員の方々、そこに仲間入りさせてもらえませんか。それだけ。
その先に目に見える結果が無いかもしれないことは最初から知っていた。
最後に何もなくても、誰にも知られなくても、何も生活が変わらなくても、
それでも良いと思った。
好きだから。
わたしはまだ弱くて、わたしにも、他人にも、「いいよ」と言える力が無い。
だから、ミスiDで結果を貰えたら、それを「いいよ」という力にしていきたい。
「いいよ」と言われ、言える、大人になりたい。