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私が本を読む理由

本というか、活字を読むことが苦手だという人と付き合っていたことがある。幼い頃から、文章を読む習慣がなかったらしい。その代わり、自分自身の経験から物事を深掘ることに長けた人だった。彼は、どんなことでもなぜかと問いかけ、本質的なところまで追及する癖があり、いつでも自分の言葉で話すことができた。彼の言葉は、物事にはっきりとした輪郭を与え、その度に私は自分の曖昧さを思いしらされた。

私は、幼い頃から本が好きで、活字を読むのが当たり前だった。いろんな方法で情報収集ができるようになった今でも、物事を深く知るのには本が一番だと思っている。でも、なにかをわかりやすく話すのはとても苦手だ。

彼に「本を読んできてよかったと思うことは?」と聞かれたことがある。咄嗟に私はうまく答えられず、「今ある私の全てだからね、、」と言ったら「抽象的だね!」と笑われた。私もそう思ったが、今の私を作ってくれたのは数々の読書経験で、私のすべてだという言葉も本当だったので、悔しかった。きちんと本の魅力を伝えられなかったので、今日は私が本を読む理由を考える。

1.偉大な著者と対談できる

著者の考えに触れること

 本を読むことで、作者の考えに触れることができる。作者が何を重要視しているのか。彼らの価値観や思考プロセスを理解することで、作者の目を通して世界を見て、彼らの視点で世界の見方を追及することができる。
 文学部で英文学を専攻していた私は、卒論ではフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』において作者が「人間である」ということをどう考えているかを題材にした。卒論書くにあたり、教授から「過去の偉大な作者と対談する経験をしてください。作者がどう考え、感じたのかを、そしてそれを考えることがどうあなたの人生に役立つのかを考えてください。」と言われた。この言葉は、あらゆる良質な文学作品、あるいはビジネス書やその他のどのジャンルの本を読む際にも当てはまる素敵な言葉だと思う。

偉大な著者とは

 偉大な著者、というと大層だが、「その人にとって」でいいと思う。もちろん、直接話せることが一番ベストかもしれないが、なかなか憧れの人と直接話す機会を持つのは難しい。また、「過去の」となればどんなに望んでも不可能である。しかし、その著者の書いた本であれば、いつでもかなり簡単に手に入れ読むことができる。

読み手にも力が求められる

 著者と対談しようとしたときに難しいのは、読み手にも相応の力が求められることだ。文学作品だったら、その作者の生きた時代背景、作者の他作品、文章ひとつひとつへの細かい読み込みを通じて客観的に理解している必要がある。そこに、自分がどう考えるかを持っていることで、初めて対談とすることができる。そう、作者を理解だけじゃなくて、対談なのだ。ある事象に対して、自分はこう考える、じゃあ作者はどう考えているかを読み取っていくことで対談となるのだと思う。そんな深い読書体験は、時間や読解力がいるので簡単にはできないが、本を読むことの大きな醍醐味だと考える。

2.いろんな経験ができ、感受性が豊かになる

幼い頃から

 幼い頃から、たくさんの絵本を読んできた。児童向けの物語を読んで、世界の童話も読んだ。グリム童話、イソップ物語、ギリシャ神話、日本昔ばなし、アンデルセン童話。いったことない国に思いを馳せて、そこでの物語は自分が生活しているだけでは想像もつかないことばかり。

思いやりとは想像力を持つことである

 人はみんなそれぞれの物語を生きている。本を読むことは、いろんな人の物語を読むことになるから、想像力持つことにつながると思う。
 重松清さんの授業を受けたときに、印象的だった言葉がある。「思いやりというのは、喜んでいる人がいたら、その裏で悲しんでいる人がいるかもしれないと考える想像力を持つこと」という言葉だ。重松さんはその授業で、少年野球を例に出してこう話した。例えばある地方大会で普通の高校の名もない選手がホームランを打ったとする。そのときに、彼も家族もすごく喜んで、次の日は新聞に名前が載ることをすごく楽しみにしたとする。でも次の日、新聞は期待の大型新人のホームラン記録について一面が割かれていて、彼のホームランについては何も書かれていない。その時の彼と家族の落胆ぶりはとても大きいものと想像できる。誰が、何が悪いというわけではないけれど、それぞれの感情が世の中には溢れている。そんな想像力を持つことが、思いやりを持つことにつながるのだと重松さんは話した。  

想像力と数百円

 本ほど手軽に、いろんな場所へ連れて行ってくれるものはない。
 「想像力と数百円」1984年に新潮文庫の百冊というキャンペーンのために、コピーライターの糸井重里さんによって書かれたキャッチコピーである。初めてこの言葉を聞いたときに、雷に打たれたような衝撃を受けた。なんてことだ、まさに私が本に惹かれる理由がこんな簡潔に表されているなんて・・!
 本というのは、想像力とほんの少しのお金で、時間・場所を選ばずに読者をどこへでも連れて行ってくれるものである。本を読み始める前の気持ちは、旅に出る前の気持ちと似ている。これから体験する知的好奇心を満たす事柄にワクワクする。特にこの数百円というのは、文庫本を指しており、この手軽さが魅力なのである。

3.ひとつの物事を体系的に学ぶことができる

ただ情報を得るのではなく体型的に学ぶということ

 何かについて学びたいと思ったら、そのことについて書かれている本を7〜8冊読んだら良いと書いてあるのを見たことがある。本はただの情報とは異なり、編集されているので、「繋がり」を意識して読むことで、断片的な知識ではなく体型的に知識を身につけることができる。
 例えば、ネットのつぶやきやショート動画はわかりやすく断片的な知識である。動画や新聞の記事も、一見まとまっているがまだ知識としては断片的である。ここから、ある一つのテーマに基づいて様々な文献を用いて執筆・編集されることで一冊の本になる。ただ情報を得るのであれば、断片的な知識を得る方法で良いが、何かを体系的に学びたいと思ったときに、本は手っ取り早い。(その道の第一人者から聞き直接学ぶと言うことが一番かもしれないが、時間とお金をかけずに手っ取り早く学ぶ手段としては本を読むことが有効である。)

物質として残る

 本は物質として留まるため、知識がいつでも取り出せる形で残る。この知識を留めておけるということも本から知識を得ることの大きな利点である。一回学んだこともしまっておけ、忘れてしまった時や、時が立って自分の中で知識が発行したときにもう一度取り出して読むことができる。


まとめ

 本が好きであり、本を読むのが当たり前だった。本が素晴らしいものであるのは自明なのにそれをうまく伝えられないことがもどかしい!
 書いてみると、本から得られる経験は、確かに読書以外でもできるものが多い。しかし、本の魅力はなんと言っても、いつでもどこでも、かなり安価に、そして誰に対しても平等に(読み手の能力が求められるが)その経験のチャンスを与えてくれることだと感じた。そして、手に入れやすさと自由さから、読み手次第でより多く、より深い経験ができ、私にとっては人生が豊かになることにつながる。

 色々書いたけど、とっても簡潔に言うと、私にとって本とは「心を揺さぶる読書経験により、人生を豊かにするもの」である。
 まだ自信がないけど、次に話すときにはもっと自信を持って、本の良さを伝えられたらいいな。そして、本の素晴らしさが届きますように!