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悟らないおじいちゃんが格好いい~『論語』と比べてみました


2020年10月のNHK『100分de名著』のテーマ作家が谷崎潤一郎だったので大興奮したという話を以前書いたことがあるのですが…


あらためて、この番組のテキストを読んでいると気になる言葉が出てきました。

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老いてなお悟らない〜貪欲なる探究心

チラッと文章が見えると思いますが、

谷崎の『瘋癲老人日記』は「息子の嫁に気に入られたくて…」というマゾ気質のおじいさんのお話です。

「自分の墓石に息子の嫁の足跡を残してもらいたいという計画」って…

このお話、谷崎潤一郎そのまま。谷崎晩年の代表作なのですが、

老いてなお悟らない」って良いなぁ、と思って。

別に「皆さん、年をとっても自分の欲望を爆発させて好き勝手しましょう!!さぁ!どんどん変態を極めていきましょう!」と言っているわけではないのです。


ただ、私は『論語』の有名な一節。

子曰、
「吾十有五而志于学。
三十而立。
四十而不惑。
五十而知天命。
六十而耳順。
七十而従心所欲、不踰矩」。
[口語訳]
子曰く、、
「私は十五歳のとき学問に志を立てた。
三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。
四十歳になると、心に迷うことがなくなった。
五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。
六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。
七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、
人の道を踏みはずすことがなくなった」と。
(『論語』・旺文社)

この「不惑の40歳」とか「耳順の60歳」とかって、自分がその年齢に達した時に(私まだ迷いまくりだわ・・・とても不惑ではないわ)と思ったことありませんか?

私は思いました。3年前、40歳になった時に大いに思いました。そして50になった時に天命を知るかも怪しいですし、60で人の言うことが何でも素直に理解できるかも怪しいです。(多分できないです)

年をとるって、大人になること。子供のころは「大人はみんな大人だ」と思っていたけれど、自分がいざ年をとってみて思うことはただ「年齢を重ねているだけ」だということ。いろんなことを経験して勉強して心も体も成長して大人になっていくのだと思いますがそれは理想でしかなく・・・。

年齢を重ねても年相応の大人になりきれていない自分に焦るわけです。

ちょっと落ち込んだりも。

でもここで谷崎潤一郎の「老いてなお悟らない」を思うとなんだか楽しくなってきちゃって。「そうよね、人間そんなものよね」って、妙に安心するというか。何も年齢を重ねたからって「高尚な人間」になることもないんですよね。

「惑わず」というのと「悟らない」というのとでは少し違うかもしれませんが、

半世紀にわたってトップ作家として活躍しつづけた谷崎潤一郎を思うとなんだか元気が出てくるのです。

もし自分の年齢や将来に不安を感じた時には「老いてなお悟らなかった」谷崎を思い出してみてください。「悟らないおじいちゃん、おばあちゃんってちょっと格好いいなぁ!そんな老後もアリじゃない?」と思えてきますよ。



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