クリムト展の後にミシャ展行ったら違う視点が楽しめたよって話


案の定しばらくnoteという存在を忘れてしまった…

今日、7月に行ったクリムト展で買ったTシャツをおろしたので、
今回はクリムト展とみんなのミシャ展について書きたいと思う。


7月の上旬に上野のクリムト展へ行ったの。
すごいわくわくして、思わず真っ赤なワンピースをおろして、黒のジャケットとローファーを合わせて行った記憶がある。
というのも電車の中でそこそこに目立って恥ずかしかった覚えがあるからなんですけど…笑

クリムトは仕事終わりの母と行ったからオーディオを借りてしっかり解説付きでみたの。


まったくもって美術は詳しくないけど解説を聞いたり本物をみたりするのが好きで。


クリムトはね、写真で見たことがあったけれど、ほんとに何も知らない状態で行った笑
金箔のイメージしかなかったな笑

実際本物を見た感想はね、「目がきれい」

2か月以上前のことだから記憶がだいぶ薄れてしまったんだけど、
クリムトの絵の女性はすべて目がきれいで、「引き込まれそう」という言葉が合う感覚だった。
もう絵画のタイトルさえも忘れてしまったけれど、あおの青い目が忘れられないかんじ。
金色が強い絵だったはずなのに、金箔の印象はほとんどないんだよね。わたしはね!
不思議~

これはたぶん、画像とかポスターでは全くわからないんじゃないかな。
実物を前にしないとわからない、「引力」のような感覚って表現するのが一番しっくりくるかも。

そのほかの感想はね、忘れちゃった笑
やっぱりすぐメモらないと忘れちゃうね…
BUMP OF CHICKENの藤君は大事なことは忘れないからメモとかとらないらしいよ。私は全部忘れるのでメモをとるようにしたいです。


んで、今回書きたいのはみんなのミシャ展についてもなのですよ!
ここからが一番書きたいこと!相変わらずの前置きの長さから成長がみられなくてしんど…

7月の中旬にね、渋谷でやってるみんなのミシャ展にも行ったの。
渋谷駅の東急東横線ホームあたりでよくポスターを見てて気になってたんだよね。

ミシャもね、まったく知らない状態で行った笑

昼ごはんをは一緒に食べたときに、ミシャ展行きたいって言ったら二つ返事で一緒に行ってくれた友達に感謝ですね☺

ミシャ展のポスターを見た時の印象は
・絵画というよりイラストだな
・なんか同じような絵、見たことある気がする
ってかんじだったな。

覚えている範囲で簡単に言うと、ミシャは芸術学校に通っていたけれど経済的な理由から広告や挿絵を描く仕事をしていたのね。

だからミシャは「広告を芸術の域に引き上げた人」でもあり、また「芸術を大衆のモノに引き下げた人」でもあるということだと理解した~

ミシャの作品をみると、「どこから見ても圧倒的な美しさだな」ってかんじだった~

クリムトをみたときみたいに「目の印象が~」とかじゃなくて、作品全体の繊細な美みたいなものが感動的だったな。

何が言いたいかというと、クリムトのときは「やっぱり近くでみる本物は違うわ」みたいな感想がでるんだけど、ミシャのはそういう感覚が無かったんだよね。

もちろん本物のミシャの作品も、写真より美しいのは違いないんだけど。

何て言えば良いんだろう…うまく伝わってるかしら…



切り口を変えよう。

そもそもクリムトの作品は万人向けの絵画は描いてないみたいなんだよね。

たしか、どっかの大学の壁の絵を頼まれて提案したのがあまりにも暗い絵すぎるって不可になったはずだし。

クリムトの金箔のすごいあの絵画たちはお金持ちの個人に向けだったらしい。


一方で、ミシャの作品って要するに商業用なんですよね。

広告も挿絵も、万人、少なくてもターゲットの消費者にウケなくちゃいけない。

個人的には、ミシャが厳格なキリスト教徒だったこともあって、作品のあちこちによく聖書にちなんだモチーフが描かれていることも消費者にとっては良かったんじゃないかな。

例えもし芸術を敷居の高いモノだと感じていても、自分が熱心なキリスト教だったらミシャの絵は身近に感じるんじゃないかな。

しかもミシャの絵ってピカソとかクリムトとかと違って誰が見ても綺麗だしね、笑


あとなんか思ったことがあったはずなんだけど忘れちゃった笑


ミシャ展単体の感想を言うと、

オードリーの若林がエッセイで言ってた

「0から1をつくれる人と1を10にできる人がいる。だけど世の中にはまれに0から1をつくり、その1を10にできる人がいる」

っていう話を思い出したなあ。ミシャのことか!ってかんじ


Q型っていう描き方とか、髪の毛を装飾として動きをつけて描く技法とか、

「あ、これよく見るやつじゃん」って何回も思って、だから「みんなの」ミシャ展ね。みたいな。

なんなら、ミシャ展のポスターを見たときに「これみたことあるかも」って感じたのは、ミシャを参考にして描いた絵を見たことがあったからっていう方の可能性が高いかも。

それぐらい今のクリエイターが影響受けているのか~って感じて、知らない業界を覗けたかんじがしてそれも楽しかったな、


まあ、いろいろ忘れちゃったところがあるけど、こんなかんじでした。笑


あとはね、余談としてなんだけど、

クリムトもミシャも、カメラがもうある時代に活躍してたんですよね。

どうかんじたんだろうね。

モデルをカメラで撮って、写真をみながらデッサンを練習したとか説明があったんだけど。

デッサンは基礎トレみたいなものなんだろうけどさ、「目の前のモノをそのまま絵にする」っていうのは写真以上の技術はなくない?

今では「写真みたいにただ緻密な絵に価値なんてない」っていう批評家もいるぐらいだけど、

写真っていうものが世に出たとき、当時の画家はどう考えてたんだろうね。


ではまた。

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