ショパンがパクった作曲家?!マリア・シマノフスカがショパンに与えた影響
ショパンの奏法はここからだったのか!と家の土台を掘り返して見るような論文を最近読みました。(元の本文はこちら(英語)←2001年に発行されていました。長いけど楽譜と一緒に解説がしてあり、読みやすく説得力が抜群にあります。)
ただ、ここで全部を訳すと大変な作業になるし、ガチ専門的な話となってしまうのでそれは少し横においといて、メモ的に私が面白いと思ったところをここに記しておこうと思います。
マリア・シマノフスカとは誰?
聞きなれない名前ですね〜。特にモダンピアノ奏者には。
「ショパン遺作曲集」に「マズルカーシマノフスカ」という曲があり、その名前を知っていたのに特にこれといった疑問も持たず、「あーまたショパンが曲を献呈した人なんだな~」とぐらいにしか思わずそのままスルーしていました。
ところが、youtubeを聴いていたある日、偶然シマノフスカが作曲したものを弾いている方がの動画が出てきて、そこから「あ、シマノフスカって作曲家だったのね!」と判明。そこからシマノフスカを調べていくとそんな単純なことだけじゃない事実が出てきたではありませんか・・・
マリア・シマノフスカ(Maria Szymanowska)はポーランド出身の女性ピアニスト・作曲家。1789年12月14日 - 1831年7月25日、41歳の短い生涯でした。(ショパンも39歳で亡くなっているので当時はみな短命でしたね 涙)
シマノフスカの活動↓
とりわけ1820年代において、ヨーロッパ全土で精力的な演奏旅行を行なった19世紀のポーランド人ヴィルトゥオーゾの先駆者であった。その後はサンクトペテルブルクに永住し、ロシア宮廷のために演奏活動や作曲活動、音楽教育に携わるかたわら、有力な文芸サロンを開いた。ピアノのために演奏会用練習曲や夜想曲を作曲した最初のポーランド人でもあり、「ブリヤン様式( stile brillant )」による作品は、ショパンを予告するものとなっている。
(wikipediaより)
リストよりも先にすでに”職業ピアニスト”=今でいうコンサート・ピアニストとして活動していて、譜面を見ないで演奏をしていた最初のピアニストと言われています。リストだっとずっと信じていたのに・・・!まぁ、当時は男性優位の社会でしたし、あれだけ派手な演奏をしていたらすべての話題をかっさらっても仕方ないですよね。
シマノフスカさんに興味を持ってもっと知りたい方はこちらのwikiのページをどうぞ。
ショパンの先生はシマノフスカの先生と同じ
ワルシャワに生まれ、幼少期の音楽教育については残念ながら何も残っていませんが、エルスネルというワルシャワ音楽院を設立した先生(むしろ学長!)に師事し、作曲などを学んでいます。このエルスネル先生はこのあとショパンも教えており、課題として与えた作曲をするにあたりシマノフスカが作曲したものを参考例としてショパンに見せていたことは十分にありえることだ、と論文では述べています。(ショパンが音楽院で学んでいた時は1823年・13歳~で、当時シマノフスカは34歳)この時に限らず、シマノフスカの名声はすでにポーランド国内外に渡っていたので、ショパンがその曲を耳にすることは絶対にあったし、17歳の若きショパン自身も「シマノフスカさんの演奏会が金曜にあるけど、チケットがどんどん値上がりしている。僕は行くつもりだから聴き終わったらどうだったか様子をつたえるよ」という手紙を友人(Jan Białobłocki)宛てに送っています。しかし、コンサートの日程が変わったため最終的にショパンが聴きに行ったのかは定かではないそうです。実際本人同士が直接会ったかも不確定ですが、ショパンもシマノフスカも同じワルシャワ出身。お互いに直接会わなくともその名前を知っていたことは確実です。
シマノフスカがショパンに与えた影響
ここは少しわかりやすくするために論文から一部を引用させてもらいます。これは言葉で言っても伝わらないので楽譜を見てみましょう~
ショパンのエコセーズop.72-3の1番
シマノフスカのアングライスno.2
激似!!!!!
ちなみにショパンはこのエコセーズを16歳の時に作曲したのではないかとされています。となると、まさしく音楽院で学んでいる時に作っているのでシマノフスカの影響が色濃く出ていますね!
他にも音系列やリズムがとても類似していたり、メロディーや転調の仕方がまんまだったりとショパンもなかなかしれっと取り入れてるもんです。
シマノフスカのエチュード 変ホ長調 No.12
ショパンの「ラ・チ・ダレム変奏曲」
ショパンのエチュードop.25-4
いやー・・・このテクはシマノフスカさんからだったなんて・・・ちなみにショパンのエチュードop.10-8も彼女の作曲からかなりモジって作られています。左手のあの軽やかなフレーズさえも・・・
上記のシマノフスカのエチュードも弾いてみましたが、なかなか音が飛んで難しい。でも「ラ・チ・ダレム」やop.25-4と比べたら全然弾きやすくなってしまうほどやっぱりはショパン難しい。
譜面上でもこれだけ類似しているのを見ると、どれだけショパンが影響を受けて作曲をしていたかがよくわかりますね。でもショパンのみならず、シューベルトはベートーヴェンを、ベートーヴェンはモーツァルトを、モーツァルトはハイドンを・・・とみな先人の音楽を聴いて、刺激と影響を受けて自身の作曲に反映させているのです。
それでもショパンはやっぱりいい!
ショパンがパクったとは言え、そこから彼が発展させて生み出した音楽には誰もが心を揺さぶられ、真似できないオリジナリティーがあり、時代を越えて愛される魅力があるのは変わりません。その基盤となったものに、フンメルやフィールドなどの作曲家が常々に挙げられていますが、その中にシマノフスカがショパンの作曲方において重要位置を占めることも忘れてはいけない事実です。彼女が編み出したと言っても過言でない奏法が若きショパンを刺激し、彼がさらに磨きをかけていったものが今日残る独特なテクニックとメロディーだと思います。また、なぜショパンの曲が女性的なのかも、この論文の説明でとても納得がいきましたね。19世紀初頭はまだ女性の活躍が今ほど活発ではありまんでしたが、そんな中でも演奏家として他国まで足を伸ばしてコンサートをしていたシマノフスカはのちのショパンに限らず、リストや他のピアニスト達にも影響を与えていたはずです。こうした隠れた女性の活躍が今日有名である人々に影響を与え、または支えていたということがもっと広く知れ渡ると良いなと思い記事を書こうと思いました。
最後に、論文で締めている言葉がなかなかショパンに問いかけているようで面白かったので訳して終わろうと思います。
ショパンの曲にはシマノフスカ以外にも、デュセック、フンメル、ベリーニ、フィールドなどの影響を受けていることがわかるが、ショパン自身は一切そうしたことには触れておらず公にしていない(中略)私は問いたいーこれはショパンのあえての沈黙なのだろうか?
(上記論文より)
ショパンが作曲したマズルカ(シマノフスカ)の音源です↓
ショパン漫画
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