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玄人好みの作品「ユージュアルサスペクツ」の脚本の魅力とは何か?

「ユージュアルサスペクツ」(1995年)

好きな映画は? と聞かれたとき、僕はこの作品の名を出す。そこまでメジャーな作品ではないが、「この映画が好きだ」と言う人とは気が合いそうだなと感じる。

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(出典:IMbD)

物語の大半が淡々と地味な話なのだが、ひと刺しのエッセンスによって人を惹きつける作品に仕上がっている。DVDで初めて鑑賞したとき、直後に2回目を見直してしまったくらいだ。

ネタバレは限界までしたくないので、言葉の選択が難しいが、「作りこまれた脚本と演出を見る映画」との表現が合うかもしれない。今回はあらすじにふれずに本作の魅力を語り、一人でも多くの人に関心を持ってもらうのを目的とする。また、すでに鑑賞済みの人には、久しぶりに作品の記憶を思い出してもらえれば幸いである。



マーケティング職についてから、日常的に目にする情報の"違和感"を気にするようになった。感動をそのまま受け取れないやっかいな職業病なのだが、”違和感”に気づくのが好奇心の原動力と思う。

僕はこの映画をきっかけに脚本と演出に興味をもった。

映画における脚本は柱、台詞、ト書きの 3 要素からなるシーン(場面)の連続を指す。シーン(場面)とは、物語の同じ場所や時間で展開される内容をまとめたものを総称する。映画、放送ではシナリオとも言われる。

一方、演出は、映像のアングル、カット割り、背景の音や曲、また、キャストや服装、ロケ地などを決める役割を指す。現場で映像として見せる要素を決めるのが演出である。

脚本は、企画の種づくりであり、撮影までの作りこみが主な仕事である。作品の原案を見つけて企てる役割だ。演出は撮影現場のライブマネジメントであり、フロントな仕事。現場で指揮するのは演出を担う監督の役割だ。



「ユージュアルサスペクツ」は1996年にアカデミー賞脚本賞を受賞している。ご存知の方も多いと思うが、アカデミー賞は、脚本賞、脚色賞がある。その違いは、オリジナリティ。

●アカデミー賞脚本賞(Academy Award for Writing Original Screenplay):アカデミー原案賞から派生した賞。脚本賞はオリジナル(書下ろし)の脚本に与えられる。

●アカデミー賞脚色賞(Academy Award for Writing Adapted Screenplay):小説や舞台劇などから起こされた脚本におくられる賞。また、続編作品も当てはまる。原案は別にある作品だ。


余談だが、マーケティングに関わる人なら、その年のアカデミー賞脚本賞の受賞作品は見ておいて損はない。この作品はどういった企画や着眼から生まれたのか? その背景を考えながら観れば企画脳が鍛えられる。旬のエンターテイメントに触れると事例や啓発的な書籍を読むのとは異なる示唆を与えてくれる。


最近5年間の脚本賞の受賞作品は、

2019年:パラサイト 半地下の家族
2018年:グリーンブック
2017年:ゲット・アウト
2016年:マンチェスター・バイ・ザ・シー
2015年:スポットライト 世紀のスクープ

派手さはないが、どれも記憶に残る良作だ。



「ユージュアルサスペクツ」でアカデミー賞を受賞した脚本家クリストファー・マッカリーは、本作がデビュー2作目。この作品がきっかけで脚本家としての名をあげた。現在は、トム・クルーズ作品の脚本家としても有名で、ミッション:インポッシブルシリーズにもかかわっている脚本家だ。

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(出展:クランクイン)

彼は変わった経歴の持ち主だった。映画のシナリオ学校に行っていたわけでもなく、ニュージャージー州の興信所で4年間働き、その後、ニューヨーク市警察に就職しようとしていたタイミングで高校時代の友人、ブライアン・シンガーに誘われて脚本家デビューした。本作は、全米脚本家組合の2006年「最高の映画脚本101」にも選ばれている。


監督のブライアン・シンガーもまた、この映画をきっかけに大きく飛躍した監督だ。「ユージュアルサスペクツ」以降、X-MEN、スーパーマン、ボヘミアン・ラブソティ(途中でトラブルを起こして降板してしまったが・・・)など数々のヒット作品を生み出してきた著名な監督である。

なお、配給会社からの指示を受け、撮影期間35日間、製作費600万ドルで「ユージュアルサスペクツ」を完成させたのも驚きである。


ブライアン・シンガーは当時のインタビューで、

「彼ら(タランティーノなど)がポップカルチャーの申し子なら、僕はストーリーの子供だ。観客の心に最も届けたいのは物語の面白さだ。彼らはいかに見せるかを競い、僕はいかに伝えるかに労力を注ぐ」

と話しているように、脚本、ストーリーに対して造作の深い監督だったらしい。



映画の脚本やストーリー構造は、認知心理学によるアプローチで様々な事例研究が行われている。キャンベルの「神話論」、「ヒーローズジャーニー(英雄の旅)」、クリストファー・ボグラーの「神話の法則」などストーリー構造に関する書籍が多数存在する。「スター・ウォーズ」や「ハリーポッター」のストーリーは、キャンベルの神話論の枠組みを基に作成された。

神話の研究から、感動や没入を生むストーリーには、4つの構造があると言われている。読者はその世界観をストーリーともに一緒に旅をし、主人公に対して主観的感情の移入が起こる。

1)「越境:主人公に大きな環境変化が訪れる」
2)「危機:主人公はどん底に落ちるが、なんらかの出会いによって危機に立ち向かう」
3)「成長:主人公は困難を克服し、成長を遂げる」
4)「勝利:主人公は目的を達成し、報酬を得る」

「ユージュアルサスペクツ」のストーリー構成も主人公であるディーン・キートン目線で見ると、1)環境変化、2)仲間となるメンバーとの出会い、3)困難の克服、4)目的の達成の4部構成になっている。

こう考察すると、「ユージュアルサスペクツ」はベタなクライム(犯罪)サスペンスだったで終わってしまう。90%はその通りなのだが、それだけではアカデミー賞脚本賞はとれない。オーソドックスな展開の中に、クリストファー・マッカリーとブライアン・シンガーは緻密に計算された10%工夫をスパイスのように入れ、作品を魅力的に仕上げている。



脚本以外ではポスターになっている5人の容疑者たちのキャラクターが作品を魅力的にしている。左から、

爆弾の名手トッド・ホックニー(ケヴィン・ポラック)
盗みのプロ、マイケル・マクマナス(スティーヴン・ボールドウィン)
マクマナスとコンビのフレッド・フェンスター(ベニチオ・デル・トロ)
過去に汚職で捕まったディーン・キートン(ガブリエル・バーン)
詐欺師のヴァーバル・キント(ケヴィン・スペイシー)

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(出典:IMbD)

主役のディーン・キートン演じるガブリエル・バーンの哀愁漂う演技も良いし、ちゃらけているフェンスター(写真中央)を演じるベニチオ・デル・トロも良い味を出している。

始めて5人が集まった面通しのシーンは、12テイク撮影したらしく、ほぼアドリブで創られている。最終的には、ベニチオ・デル・トロが台本にないでたらめな英語をしゃべり、他の演者が笑いをこらえているシーンが採用された。大人たちがふざけた様子は逆にカッコいい。

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(出典:IMbD)

ベニチオ・デル・トロは「ユージュアルサスペクツ」に出演した際はまだ下積み時代だったらしいが、その演技が認められ、2000年にクリストファー・マッカリー監督・脚本の「誘拐犯」で主演。同年の「トラフィック」でアカデミー賞助演男優賞を受賞。近年、スターウォーズやアベンジャーズにも出演している。25年たってノリのいい兄ちゃんが、味のある名俳優になっている。

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(出典:映画.com)

前半から中盤まではちょっと単調なストーリーで、途中で飽きてしまう人も多いかもしれない。5人の個性的な俳優たちのセリフを楽しみつつ、アカデミー賞脚本賞をとり、のちにハリウッドでも名うての監督と脚本家になった彼らの出世作を最後まで見てほしい。



あらすじに触れないで書く映画コラム。あのシーンにも、あのキャラクターにも触れないで書くのはストレスでしかないのですが、僕の気持ちは、

「できるなら大人になった今、このタイミングで初めてユージュアルサスペクツ見たかった」

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(出典:IMbD)

で、ここから先は、本作を見た人だけが読んでもよい、ネタバレ全開な「ユージュアルサスペクツ」の楽しみ方を書いていく。たまたま、このnoteで興味関心を少しでも持った未鑑賞の方は、映画を見てからこの先を読んでいただけると幸いです。

雑誌の袋とじ的なnoteで失礼します。

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(出典:IMbD)


くどいようですが作品を見てないなら、この先は読まない方が良い。他の人の映画評も読まない方が良い。


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(出典:IMbD)



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さてさて、ここから先は、すでに「ユージュアルサスペクツ」を見た人に向けて、もう一度を観たくなるnoteとして書く。

今回、「ユージュアルサスペクツ」の映画noteを書くにあたり、世に出ている関連コラムや考察記事をほぼ読みました。公開から25年もたっているので仕方ないのですが、あらすじとネタバレから入っている記事ばかり。

この映画ほど、結末を知ってしまうと価値の減損がある映画も珍しいので、ちょっと変わった形の書き方にチャレンジしてみた。


4000字弱も前フリを書いてしまいましたがここからは好き放題、作品の内容に触れながら「ユージュアルサスペクツ」について語っていく。

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(出典:IMbD)

僕がこの映画を初めて観たのは大学生の頃。TSUTAYAのPOP、”アカデミー賞受賞作品のススメ”に引き寄せられ、当時の恋人と鑑賞しました。

残念ながら彼女は、単調な中盤に飽きて30分を過ぎたあたり寝てしまいました。彼女はのちに妻になるのですが、僕が一番好きな映画の途中で寝てしまう位、映画の趣味趣向が合わないのを知ったのもこの映画の思い出です。まぁ、上映時間105分のうち、98分(割合で言うと93.3%)までは単調なサスペンス作品だったので、妻が寝ても仕方がない。



皆さんは、この作品のどの時点でカイザー・ソゼ=ヴァーバル・キント(ケビン・スペイシー)と気づきましたか? 98分を超え、警察署にて散らかっている部屋に対して巡査部長が言った、

「距離を置いてみるとわかるのさ」

の後、コーヒーを飲むデヴィット・クイヤン捜査官にアングルが寄っていくシーンで、僕はようやくこの映画の”違和感”に気付いた。

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(出典:IMbD)

コーヒーを落とした場面で「まさか」と鳥肌が立つ。

ラストで今まで見ていた物語は虚像だったと、どんでん返しを起こす。この瞬間の「マジか……」とやられた感は未経験の体験だった。


本作は真犯人をミスリードさせるため、ヴァーバル・キントが回想する「ウソ」の物語を”映像”で描いていたが、この脚本の構成には公開当初から賛否があったようだ。

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「ユージュアルサスペクツ」は叙述トリックの「信用できない語り手」を使っている。最近のミステリーやサスペンスでは、特段珍しい演出ではないが、過去にはヒッチコックが「舞台恐怖症」(1950)で映画冒頭に、映像で"lying flashback" (嘘のフラッシュバック)を使ったため、批評家から非難が集まった。

「やってはいけないと思っていたことをやってしまった。登場人物が嘘の”話”をする分には大丈夫だが、語られる”映像”(フラッシュバック)が嘘だと、観客は受け入れてくれない」

ヒッチコック自身が後悔の念を語るほどミステリー・サスペンスにおいては「信用できない語り手」の話を"映像"で出すのは禁断の演出である。

この演出は、マンガでいう「夢落ち」に近い。ハイスクール奇面組、東京大学物語などがそれだ。東京大学物語はリアルタイムで追っていたので「江川達也ーーーそれは無しだろ!」と叫ぶほど結末は衝撃的だった……。



物語の構成上、一番雄弁な目撃者が犯人では? とベタな伏線から犯人を予想する人もいる。しかし、本作は誰が犯人だったか?の謎解きが本質ではない。ヴァーバル・キントにまつわるシーンに、誰しもがわかりそうなギリギリ攻めた”違和感”をちりばめ、「ユージュアルサスペクツ」の脚本の魅力であり、演出の妙である。


劇中には全部で6個の”違和感”が仕掛けられている。

①冒頭のディーン・キートンが発した「足の感覚が無いよ」とヴァーバル・キントを皮肉る言葉。

冒頭のこの言葉がカイザー・ソゼの正体=体が不自由なヴァーバル・キントのヒントになっていると気づく人はほぼいないと思う。その後、カイザー・ソゼは左手でライターの火をつけ、右手で抜いた銃をあえて左手に持ち替え、横に構えて撃つ。このシーンの目的は、カイザー・ソゼは左利き=ヴァーバル・キントではないと印象つける。

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(出典:IMbD)

②5人の容疑者が集められるシーンでヴァーバル・キントだけ逮捕シーンがない。

自己紹介のように、それぞれのメンバーの逮捕シーンが細かく描写されていたが、ヴァーバル・キントだけ逮捕シーンがないまま5人の容疑者の一人として集められた。語り手としての自分のシーンは割愛したとも考えられるが、かなり"違和感"があるシーン。

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(出典:IMbD)

③ヴァーバル・キントがデヴィット・クイヤン捜査官に尋問を受ける際にみせた不自然な目線。

部屋を見渡す演技は、2回目に見ると明らかに意味ありげ。ここは"違和感"を持った人も多いはず。

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(出典:IMbD)

④デヴィット・クイヤン捜査官が飲むコーヒーカップの底をまじまじと見るシーン。

これも③と同様にあとから見ると明らかに"違和感"がある。ケビンス・スペイシーは目線の演技が素晴らしい。ヴァーバル・キントがライターを左手で開けようとして落とすシーンを差し込み、彼はカイザー・ソゼではないと擦り込んでいる。

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⑤ヴァーバル・キントがとっさにマヒしているはずの左手で払いのける。

いらだったデヴィット・クイヤン捜査官に掴まれた際に出てしまうシーン。おそらく、この場面がクリストファー・マッカリーとブライアン・シンガーから観客に仕掛けた最大の"違和感"である。一瞬なのだが、明らかにヴァーバル・キントが嘘をついているのがわかる。

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⑥ヴァーバル・キントが警察署から出る際に受け取る金のライターと腕時計。

ヴァーバル・キントが預けていた時計とライターは、冒頭でカイザー・ソゼがディーン・キートンを殺すシーンで見せたライターと腕時計と同じもの。小物を意味ありげにクローズアップし、ヴァーバル・キントの所有物がわかるようにしている。これが最後の"違和感"。

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このほかにも、カイザー・ソゼについて知らないと言っていたのに、冗舌に語るヴァーバル・キントが怪しいなどもある。

ここであげた作為的に入れられた6つの”違和感”は、脚本のクリストファー・マッカリーと監督のブライアン・シンガーたちから、「君らは途中で、僕らの仕掛けた”違和感”に気づけたかい?」と挑戦状を送られているようだった。


監督と脚本の2人は、語り部が実は真犯人だった痛快などんでん返し作品を作りたかったのではなく、作為的な”違和感”に気づかないまま観客が通り過ぎる事実を示し、現実社会においても、実際に見ている情景は真実なのか? それとも虚像なのか? 受け手に考えさせるのが本作の主題だったと思う。実際、「ユージュアルサスペクツ」はどこまでが真実か? と様々な解釈の考察が生まれている。脚本の企画力とそれを形にした演出により、ユーザーを巻きこんだ映画だった。


最後に、過去の映画評にて議論があった部分について、僕なりの考察を置いておく。

まず、これだけ完全犯罪が可能なカイザー・ソゼが船の襲撃で顔を覚えている生存者(火傷をしたハンガリー人)を取り逃がしたのは何故だろうか? との指摘。

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これはカイザー・ソゼが伝説となったトルコの事件の再現と解釈できる。家族を自らの手で殺め、その場にいるギャングを殺害したが、1人だけ生かしその場で起きた状況を語らせていた。生存者を語り部にし、カイザー・ソゼの存在を伝説化させる。

ハンガリー人の生存者も同じやり方だ。あえて語り部を残し、伝説を創り、そして「フッと」消える。カイザー・ソゼ=ヴァーバル・キントはおそらく顔を変えて。全く別人となって過ごしているだろう。

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何も証拠を残さないのではなく、明らかな痕跡を残し、本質的な部分を煙に巻く。物証が多いが故に未解決になってる事件は現実でも多くある。行動経済学や心理学的要素に近く、人の先入観や思い込みを利用し、本質からずらす手法だ。

ヴァーバル・キントが付いた嘘も、登場人物の名前や場所に関する嘘が大半であり、カイザー・ソゼの真実とはあまり関係がない。重要な嘘は、ヴァーバル・キントの左半身が麻痺している様子くらいだった。



また、日本人としては気になるのが、カイザー・ソゼの伝達人「コバヤシ」の由来。これは、監督のブライアン・シンガーが映画監督デビューに関わった、映画プロデューサーの小林正夫氏がネタ元である。小林氏は、1990年新人監督発掘プロジェクトにて、まだ、映画監督として世に出てない当時26歳のブライアン・シンガーと出会った。彼は、小林氏のプロジェクトがきっかけで映画監督になれたのだった。

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(出典:IMbD)

小林氏のインタビューを読むと、ブライアン・シンガーは「ユージュアルサスペクツ」の企画を小林氏に提案していたらしい。諸事情がありプロデューサーの仕事を受けなかったが、ブライアン・シンガーは1作目「パブリック・アクセス」(1993)を世に出す支援をしてくれた感謝を込め、「コバヤシ」を配役した。粋な監督である。


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(出典:IMbD)

ふと、jigenさんに「久しぶりに好きな映画作品について書いてみたら?」と言われて書き始めたnoteだったがやはり、好きなことをオタク的に突き詰めていく行動は自分の感覚を棚卸していくようで、少し辛いが楽しい時間だった。


企てを生業としている人、マーケティングに関わる人は、脚本への評価が高い作品を鑑賞し、脚本家と監督の描きたかった企画やメッセージは何だろうか? と新たな視点で観ると、映画が少し変わると思う。

エンターテインメント世界観に浸る映画の見方とは対極にある映画の楽しみ方ではあるが、こういった昇華方法も悪くはない。仕事においても、脚本や演出を描くがごとく、仕掛けや余白、違和感を込めたチャレンジングな企画をしていきたい。

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