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おっさんだけど、仕事辞めてアジアでブラブラするよ\(^o^)/ Vol, 52 饗し

タジキスタン Pamir Highway Try 4日目 
2023.0830 Wed

ウズベキスタンのサマルカンドで自転車を購入してから2週間以上、移動距離は優に1000kmを越えました。
サマルカンドから国境を越えタジキスタンのペンジケントへ。
次に、ペンジケントからタジクの首都ドゥシャンベへ。この移動中、わたしは初めての海外野宿を経験し、もう一つ、初めてのヒッチハイクも経験します。
それから、ドゥシャンベからパミールハイウェイの入り口の街であるホログへ。この移動中、わたしはなぜかヒッチハイクしたクルマで海外クルマ運転デビューを果たします。
そして、ホログからパミールハイウェイ本編となるチャリ旅がスタート! したと思ったら、3日目の朝一にチャリのクランクが故障。ホログへいったん戻り、クランクを修理し、くわえてパーミットの延長にも成功。その日の夕方に再スタートを切り、そして2日目の夜のいまに至ります。

バイカーも多い。もちろんみんな本格派。というか、バイクこそ故障したらニッチもサッチもいきませんからね。このヤマハは、片側50kgの荷物を積んでいます。

もういろいろありすぎて、なにがなんだかわかりません。
チャリを買った次の日の夜、ペンジケントに這う這うの体で到着したときですね。はっきり言って、わたしはこの旅はすぐに終わると確信していました。なぜなら、このチャリ旅のあまりの過酷さに気付き始めたからです。
わたしの購入したチャリは中国製の安物オフロードバイクもどき、いわゆる“ルック”というヤツです。重いだけのフロントサスペンションはなんの意味もなさず、変速機はとにかく動きが渋く、精度の悪いベアリングのせいでいくら漕いでも前に進まないのです。
そして、なによりわたしの脚力の無さ、これに尽きます。平地の、しかもたった60kmの移動でもう音を上げる始末なのです。
“北海道をチャリで走ったときは一日150km以上は走ってたのに…”
と思ったのですが、よくよく考え直してみると、北海道のチャリ旅は15年くらい前の話でした…。

タジク、いえパミールをチャリで走っていると、とにかく声を掛けられます。『Hello!』『How are you?』『Where are you from?』  『I'm from Japan!』『My name is Mitts!』『Of course FINE!』

ここで声を大にして言いたいのですが、わたしがホログまで到着し、パミールハイウェイ本編を漕ぎ始めたという事実、これはほぼほぼ奇跡に近いということです。

本来ならドゥシャンベまでなんてどうやってもたどり着けなかったのです。途中の2700mの峠で疲れてビバーク。テントと寝袋を持たないわたしはそのまま凍傷に限りなく近い状態になり…。それでこの旅は終わりのはずでした。

ドゥシャンベからホログなんてもっと不可能のはずでした。だいたいが600km以上もあるのです。そして道路が最悪! 単なる未舗装路ならまだしも、アスファルトを敷く準備としての工事中の場合が多く、深い砂に道が埋もれてほとんどチャリに乗ることができない区間が50kmもあったりするのです。そして、昼間の灼熱地獄! 特にパンジ川を挟んでアフガニスタンと国境を接するワハーン回廊あたりは本当に辛かった。しかもこのあたりは、対タリバンの警備のため、キャンプをすることができないのです。ドゥシャンベでテントと寝袋を購入したのに…。

振り返ると、ワハーン回廊あたりが一番キツかったように思います。とにかく暑いのが苦手なのです、わたしは。道路もアレだし、工事中ばっかりだし…。

ではなぜ、わたしがいまパミールトライ本編をスタートさせることができているのか? それはひとえに、わたしを助けてくれたみなさんのおかげです。
ヒッチハイクをすれば、ほとんどの人が(Noであったとしても)なんらかの反応を示してくれますし、可能であれば拾っていただけます。
それに加えて、もう、とにかく“ご馳走”していただいたり“お呼ばれ”していただけるのです。
朝、道を歩いているおじさんに挨拶をすると、
「朝飯喰ってけよ」
「チャイ飲んでけよ」
となるのです。これは非常にありがたい話です。一番ご馳走していただいた日なんて、朝・朝・昼・晩とお呼ばれしました。
とんでもなくありがたい話ですが、これはわたしも理解ができます。
“お、なんかチョコボールみたいなガイジンが必死こいてチャリ漕いどるやんけ! チャイ誘ったろ”
こういうことだと思うのです。

言葉も通じない、そもそもどこの馬の骨かもしれないガイジンを家に招いて飯を喰わす。
なかなかの懐の広さがないとできないことですよね、これって。



しかし、理解の範疇を越えたことをしてくれる人もいます。
たとえば、ハムを買いに売店に寄り、そこでおじさんに
「1 minute wait!」
と言われて待っていると、大盛りのビリヤニ(タジク特製ピラフ)をご馳走してもらえたり…。
たとえば、またハムを買いに(ハムは保存食として優秀です)売店に寄り、そこでおばさんにハム入りオムレツとナンとコーヒーとおやつを頂いたり…。
ありがたい。非常にありがたい話です。でも、ちょっと待ってほしい。それって、商売としてどうなんですか? ビリヤニなんてレストランで喰ったヤツより全然旨かったし大盛りだったし! オムレツとナンとコーヒーとおやつなんて到底喰いきれないからお土産としてもらったし! というか、それってハムの代金を越えてはいませんか? 
これがもしかして、“新しい資本主義”ってやつですか?

これ、実はこの後、この店で買ったハムを野良犬に半分くらい喰われてしまいます。
マジで信じられないくらい腹が立ち、本気で野良犬を叩き殺してやろうかと思いました。

パミールハイウェイ本編チャレンジが始まって1日目の夜、標高3000m地点でテント泊しました。朝、テントを片付け撤収準備をしていると、遠くの家からおじさんが歩いてきます。うすうす誰かの土地であることは気付いていたので謝ろうと準備をしていると、はたして、おじさんはお盆に温かいチャイとナンを用意してくれていたのです。
“喰ってけよ”
なにも言わずにおじさんは目でそう言い、賢そうな愛犬とともに去って行きました。
そして、わたしが食べ終わるころ、またおじさんは愛犬とともに現れ、「ラフマット(タジク語でありがとうの意)」を連発するわたしににっこりと微笑み、去って行きました。
これってどういうこと? 領土問題に対するアンチテーゼ? これが“世界から戦争を無くす方法”ですか? 

愛犬と共に去って行くおじさん。『カッコイイとは、こういうことさ。』

とにかく、パミールハイウェイチャレンジには、旅の醍醐味すべてが詰まっています。
ちなみに、ペンジケント出発時点の持ち点が100点、ドゥシャンベ到着時点で+100点、ホログ到着時点で+100点、キルギス入国で+100点、パミール終点のオシュ到着で+100点です。何点満点とか、合格不合格とか、成功するかどうかとか、そんなことはこの際どうでもいいですわ。

ヤクやヤギと共に生活する、そんな世界がまだあるのです。どちらが良いとか悪いとか、いやいやどっちもどっちだろとか…。そうやってすぐ比べてしまうところに、わたしの限界があります。


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