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短篇小説「抱擁」②

 話を父が船に乗って消えた日に戻そう。
 あれから私がどんなふうに過ごしたか。一人の人間の不在を補うことは罅割れた容器を修復するみたいに簡単にはいかない。私以上に大きく取り乱したのは母だった。母は一人で帰ってきた私を責めた。なぜ父を止めなかったのか、と。それから店長も私を責めた。明日から自分の代わりに馬車馬のように働く人間がいなくなったからだ。

 私の口からは甘いキャンディーの匂いがしていた。母はすぐにそれに気づいて、私がキャンディーに気をとられているあいだに父が消えたのだと悟った。それでよけいに気でも触れたような勢いで私の頬を何度もたたいた。

 店長はしばらくしてから、私に「明日から学校は行かなくていい。おまえが店番をしなさい」と言った。私は言われたとおりに翌日から学校に行かずに店番をするようになった。
 
 翌日は雨が降っていた。けれど、もう雨のなか学校に行かなくていいのだと思うと、雨音がそれまでとは違って聞こえた。雨音は祝福こそしていないが、私の人生が何らかの変化を迎えていることを敏感に察知して何か語り掛けていた。残念ながら、私は雨語に堪能ではなかったけれど。

 私はその日から店のシャッターを開け、在庫の管理をし、接客をして帳簿をつけ、夜になるとまたシャッターを下ろした。その頃には母もどこかのパートから帰って来て二人で食事となる。会話ひとつない、さえない夕食だ。
 
 夜十時をすぎると、店長がやってくる。前よりも頻度は高くなった。私はそのたびに外の石段に腰を下ろして、父の残していった煙草を火もつけずにただくわえてみたりした。そうしていると、父と並んで石段に腰を下ろしてこの時間をやり過ごしていた頃のことが思い出された。父はなぜ出て行ってしまったのか? いや、むしろこう考えるべきか。父はなぜこんなにも長いこと出て行かなかったのか、と。

 とにかく私は待った。手紙を待っていた。父は必ず手紙をくれるはず。あのとき、たしかにそう言った。あれは聞き間違いなんかではない。そう思いたかった。その確信が揺らいでしまえば、もう私にはすがるものが何もなくなってしまうからだ。私は毎日、いつか父から手紙がくるはずだと信じて行動した。そうするうちに私は雑貨店の仕事を一通り覚え、15を過ぎる頃には、店長の知らないことでも大抵自分で判断できるようになったし、私のおかげで利益もだいぶ増えていた。
 
 けれど暮らしは楽にならなかった。利益はすべて店長の懐に入っていた。ある晩、母と店長が揉めはじめた。理由は、奥方との離婚話がふいになったと店長が告白したことにあった。私はその流れを知っていた。店長が母に「あの女とは別れるから」と言ったときから、どうせできやしないに違いないと思っていたのだ。
 だから、この揉め事にはさもありなんよおほほくらいにしか思わなかったのだが、母のほうはそれでは済まなかった。母はこんなろくでなしの男を信じていた。店長の正妻になれば、この小さな雑貨店が自分のものになるのだ、と。よく私に寝る前に鼻歌まじりに言ったものだった。「私が店長の奥さんになったら、あの店は将来的にはあんたのもんだよ、よかったね」
 
 私は薄汚れた雑貨店なんてほしくなかった。だから、二人が揉めようが何だろうが、眠りさえできればそれでよかったのだ。けれども、そうはいかなくなった。その晩の喧嘩はかなりエスカレートしていったのだ。そして、母の怒り方が激しくなり大声になったとたん、店長は「だまれ、この女」と言って花瓶で母の頭部を殴ったのだった。

 私は足音を忍ばせて店に逃げると、レジからありったけの金を奪って鞄に詰めてから外へ出た。警察を呼ぶことは考えなかった。そんなことをしても私に得があるとは思えなかったからだ。

 私が向かった先は娼館だった。年頃の娘なら、成人してなくても雇ってくれることを知っていた。店の男は私の顔と身体とを何度か見た後で、うちで働きたいんだね、と尋ねた。私は頷いた。
「俺は君の覚悟を買う。だが覚えておくがいい。客として訪れる男たちは君の覚悟なんか知らない。君はここを一つのきっかけとしてまったく別の世界へとのし上がるつもりかもしれないが、その時でも男たちは君を忘れない。ときには、君が幸運の切符をつかみかけたそのうしろ髪を、かつての客たちが引っ張ってくることもある。ここはそういう場所なんだ。いいかい、覚悟というのは、そういう将来的にあり得る災厄にすら立ち向かう勇気のことをいう。でもたぶん君は俺のこの助言にもかかわらず『大丈夫です』と言うだろうね。みんなそうなんだ。なぜなら、体験しないうちの覚悟なんてしょせんファンタジーでしかないからだよ。そして我々はそのファンタジーを承知で君を買い取る。それが生きていくための糧だからね」
 
 男の言ったことは本当だった。私はその店で三年と五カ月働いたのち、帽子屋に就職したが、そこの客に、かつての娼館の客が訪れて私の履歴が発覚して店を追い出された。その後にはもう少し大きなチャンスがあって、銀行に就職したがやはり同じだった。ちがう街に行けばいいかと思ったが、どこへ行ってもどこからともなく噂は小さな隙間からでも入り込み、瞬く間に広まった。四つ目の職(もはやそれがどんな職だったかさえ記憶にないが)に就いたとき、最初にできた友人が、私の過去の噂をたしかめにやってきた。そして言った。
「私は職業に貴賤はないと思うわ。でもやっぱりあなたは取り返しのつかない過ちをおかしたのよ。仲良くなれそうだったのに……」
 過ちを犯したのは私だったのか? 断じてそうではない、と私は思った。もしも過ちというものがあるとすれば、それはある限られた空間でのビジネスの関係を、その空間以外でも適用させようと吹聴した男たちの存在だ。彼らこそ、この世の中にはびこる大きすぎる過ちにちがいなかった。

 私は何度も真夜中に父へ手紙を書いた。出す宛てのない手紙だった。悔しさ、やりきれなさ、疲労感、絶望、虚無、そういったすべてを手紙に書いては、箪笥の引き出しにしまいこんだ。

 雨音がまた変わった。なぐさめるような、もう絶望ですねと告げるような調子だ。かつて私が生まれた日にも降っていたくせに、あの頃に教えてくれればこんな目に遭わなかったのに、と思ったけれど、雨を恨んでも仕方がない。

 それからふと「手紙を書くよ」という父の言葉を思い出した。もしかしたら、私が家を出てから父の手紙が届いているのではないか。いささか遅すぎる気づきではあった。何しろ家出をして数年はそんなことを考える余裕さえなかったのだ。

 翌日、おそるおそる変装して私はあの雑貨屋へ向かった。雑貨屋は昼間なのにシャッターがしまっており、ポストも封鎖されていた。窓から店の中を除くと、商品ひとつなくがらんとしている。どうやら雑貨店はつぶれ、いまはここには誰も住んでいないらしい。きっと母は殺され、店長は警察に捕まったのだろう。私はポストに貼られたガムテープをはがして、念のため中を覗いたが、そこには何もなかった。

 しかしとにかく私にとってはこのポストは、父と連絡をとれる可能性のある唯一の窓口だったのだ。そして、その窓口が機能していないことがはっきりした。
 私はその持って行き場のない悲しみをどうすることもできず、しばらくのあいだポストを抱きしめて泣いていた。何も事情を知らぬ老婆が現れて、「そんなにポストが好きだったのかい?」と言った。私は彼女を無視した。

 望みの絶えた日々が続いた。その頃のことは、ところどころ記憶が曖昧になっている。

 うまく行きかけては、過去の影が現れてすべてを台無しにする。そんなことが六度、七度と続いた。そうするうちに私もいよいよ思考の方向転換を強いられた。私は頭を短くまとめると、筋力トレーニングを始めた。ボクシングと剣術、射撃も習うようになった。女性の用心棒としての仕事を始めるための準備だった。数カ月後、私は〈女性ボディガード要りませんか〉のビラを作り、金のありそうな独身女性のもとへ配って歩いた。私の価値を不当に貶める者どもと距離をおいて生きるための方法を模索し始めたのだ。

 いくつかの男性からの依頼電話があった。どこまで匿名を保とうと、影は勝手についてくる。だが、電話は切ればいい。やがて、一件、女性からの問い合わせがあった。彼女は自分はクラブシンガーだと言った。それが現在に至るまで私を雇ってくれているナオミだ。私はナオミとほぼ二十四時間行動を共にしている。話し相手でありボディガードだ。ナオミは愉快な女だ。若い頃は相当辛酸をなめているようだが、現在のクラブに雇われてからは人気に火がつき、女王様のような振る舞いを許されるまでになっている。いまやクラブは彼女の存在なしでは立ち行かないほどだ。
「あなたの噂は知ってるよ。丁寧に私の耳に入れてくれた客がいるんだ。でも私はその客に言ってやったよ。親切にありがとう。これで誰を出入り禁止にすればいいのかよくわかったよってね。もうその客は来ない」

 私たちは気が合った。ときには休日の買い物にも付き添い、服について意見を求められることもあった。傍からみたら親友か姉妹に見えたかも知れない。ナオミは私のぎこちない笑い方を好いていたようだし、私のほうは豪快なナオミの態度に好感を抱いていた。私たちはとてもいい関係だった。
 
 父の報せを受けたとき、私は真っ先にそのことをナオミに報告した。ナオミは言った。「とにかく遺体に会っておいで。ずっと会ってなかったんだろ? もう手紙は寄越してはくれないだろうけど、人間てのは死んでからの時間のほうが長いんだ。きっと、遺体と向き合うことで次の扉は開かれるよ」
 私はその日のうちに遺体安置所へ向かった。父は私の想像の父よりもはるかに小さく、萎れてしわしわになっていた。これがずっと会いたいと思っていた父なのか。疲れ切った父の表情に、私は何とも言えない気持ちになった。あの日、私の手に小銭をつかませた手を握ってみたが、ひどく冷たかった。
 私を桟橋に置いて船をこいだとき、この男はどんな気持ちで手を振っていたのか。その後の人生をどのように生きたのか。その人生のなかで、娘に手紙を書こうと思ったことは果たして一度でもあったのか。あったとしたら、なぜそれをためらったのか。尋ねたいことは山ほどあったが、それに答えられない者しか私の眼の前にはいないのだった。

「ハルカ! ハルカ!」

 わずかに離れたところにある遺体にすがって泣いているドライマンゴーみたいな肌をした初老の男性が目に入ったのはその時だった。彼がすがっているのは、父が無理心中をはかった女性の遺体だった。警官が「おとうさん、気をたしかに」と訴えた。どうやらハルカという女性の父親らしい。
 私は、気が付くと父の遺体から離れ、その男に近づいていた。どんな言葉をかけるかも、何も計算しないままに。

 私はそのようにして雨村治夫と出会った。

(続きはまた明日)

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