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短篇小説「抱擁」①

 雨の日に生まれた。誰に聞いたわけでもない。私がそう決めたのだ。名前のない街で、雑貨店の地下にあるソファでへその緒を切られ、そのままそこが私の寝床となった。
 
 雑貨店は父の職場で、そこは店長の好意で父母に与えられた部屋だった。私は何も知らぬ間に店長の恩恵にあずかった永遠のエトランジェだった。 

 台風の夜になると、ソファは水浸しになるので、母は一晩中私を抱きかかえていなければならなかった。それでも母にはそこにしか居場所がなかった。父は雑貨店の副店長という肩書きをもっていたが、店長と父しかいないので実質下っ端だった。
 
 店長は三日に一回、母を抱いていた。母がそのことをどう思っていたのかは知らない。快く思っていたのか、嫌悪していたのか。とにかくその間、父は煙草でも吸いに行って店長が去るのをじっと待つのだった。父がなぜそのような状況に抗おうと思わなかったのか。

 たぶん貧困が彼の自我を奪ってしまったのだ。きっとそれは母も同じだったろう。愛のベクトルや、純粋さといったものもまた貧困によって簡単に汚されていってしまったのに違いない。

 違いない、と私はよく考える。だってそれは私の思考だから。その強弱は私が決められる。かも知れない、と言ったって本当はいい。けれども、私が私の過去を決定していかなかったら、いまの私自身の輪郭がぼやけていってしまう。

 だから多少の根拠をもとに、「違いない」なんていうようにしている。 

 父と母の愛の間には、はじめから貧困がいたのだろう。そして、貧困は恋の馨しさや麗しさといったものをはしゃいだカバの水しぶきみたいにすべて台無しにしてしまったのだ。

 それでも父と母が一緒に居続ける理由は何だろうか? 幼い頃の私はいつもそう思っていた。あるいは、父母は貧困に自我を奪われただけではなくて、貧困の囚人にさえなってしまったのかも知れない。「かも知れない」と私は考える。「に違いない」ではないのは、私がそうではないと思いたい気持ちが強いことのあらわれだ。私は父と母が貧困の囚人であったとは思いたくないのだ。

 その雑貨屋は街の北端にあって、冬になると人々の足はきまってその店から遠ざかる。もともと雑貨というのは気持ちに余裕があってこそ金を払おうかと思うものなので、寒さも厳しくなればわざわざ出向いて雑貨を買おうという気にならないのだろう。

 その時期になると、きまって店長が荒れた。荒れると、店長が地下の我が家に入り浸る確率が上がる。父は凍てついた空気の中、外へ煙草を吸いに行き、何時間でも石段に腰を下ろしていた。

 4歳をすぎたあたりから、私も父のとなりに腰を下ろして店長と母の逢瀬が終わるのを待つようになった。父は私の髪を撫でた。
 
 貧乏がいけないの?と私は尋ねた。
 父は遠くを見ながら答えた。
「いや、ノブの壊れたドアから犬が入って冷蔵庫を漁っても、犬を責めることはできないよ」
 私にはノブが何で冷蔵庫が何で犬が何なのかその時にはわからなかった。ただ私の心には一匹の薄汚れた犬が生まれた。薄汚れた犬は、舌を突き出して、はぁはぁ言いながら、冷蔵庫から生ハムを盗み出して去っていった。生ハム! 私の大好きな生ハム! 私は悔しくてならない。そして私は父に言い返した。
「私の生ハムを盗んだ犬はぜったいにゆるさない」
 父は笑ってまた私の髪を撫でた。

 しかしそんな日々は長くは続かなかった。
 ある日、父は私と散歩に出かけた。そしてある川の前に来た時にそこの桟橋にあった小さな小舟に乗り込んだ。私も乗る、というと喜んで父は乗せてくれた。だが桟橋に括りつけられた紐は解かないので船は進まなかった。
 父は長いこと私が船から落ちないように背後から私を抱きしめていた。が、やがて「さあそろそろ上がろう」と言って私を抱き上げて桟橋に上がらせた。

 それから、遠くに見える店を指さした。それは駄菓子屋だった。いつも母と教会へ行くときに前を通るけれど、あれほしいこれほしいと言ってはいけない、とずっと言われていたので店の前でちらっと中を覗くことしか許されていなかった。

「あの店に行って大きなキャンディを買いなさい」
 父は私にお金を渡した。大きなキャンディを私があの店で? 私は興奮した。どれくらい興奮したかというと、その場で飛び跳ねて桟橋が軋んだくらいに。そして、そんな私をみて父は嬉しそうに微笑んでいた。

 私は浮かれた。人生でこんな浮かれたことはない。まだ私は8歳とか9歳とかそんなものだったけれど、その短いなかでこんな浮かれた記憶はまったくなかった。

 私は駄菓子屋に走っていき、店のカウンターにあった目が回りそうなくらいぐるぐる渦巻いている赤と白のマーブルの棒付きキャンディーを買っておつりをもらった。
 袋を開けるかいと店の人が聞いたのでうんうんと頷いた。
 店の人は慣れた仕草で袋を開けて、私の手にもたせてくれた。私はそれを舐めながら桟橋に戻った。いろいろな躾だとか禁止事項とか、何もかもが頭の外に流れていってしまいそうなくらい甘かった。

 私はもうキャンディーの前では動物以下だった。父と母が貧困の囚人なら、私はキャンディーの囚人だった。
 
 そして桟橋に戻ったとき、そこに船はなかった。
 父も、いなかった。

 川の遥か彼方に小さくなった船が見えたとき、私はそれでもキャンディーを舐め続けるのをやめることができなかった。パパ、パパがいない。行かないで。甘い。キャンディー甘いよ。おいしいよ。しょうじきどうしたらいいのかわからなかった。

 船の上から父が何度も手を振っていた。そして、たぶんこう言った。「てがみをかくよ」そう言ったような気がした。「気がした」というのも、私の決めたことだ。これをもっと断言して「父はそう言ったのだ」と思い込むこともできる。けれど、私はそれができない。

 何しろ、今日であの日から10年近くが経とうとしているのだから。

 今日、私のアパートに警察が訪ねてきた。警察は父の名前を出し、「残念ながらあなたのお父さんは昨夜亡くなりました」と告げた。言いにくそうだったが、どこかの女性と無理心中したらしかった。
「しかしどうもわからんのです。お父さんはこの女性と死亡する数時間前に初めて会っただけのようなんです。一体、何があったのか……」
 もちろん、十年も音信不通だった私にその理由がわかるわけがなかった。私が思ったのは、ただひとつ、ああもう手紙はこないのだということと、手紙を書くよと言ったのかどうか確かめるすべもなくなったのだということだった。
(②に続きます。④で完結します。下のほうに行くと次の記事に進めます)

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