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「優しい虐待」を受ける私たち〜お母さん、それは優しさではなく支配です〜

社会問題について考えるシリーズ1弾「母の支配」

私たちは生き続けている限り常に
意識的にせよ、無意識的にせよ
その都度、様々な可能性の中からひとつを選び、それを実現し続けている

可能性を実現した結果、失敗したり嫌な思いも含めて、私たちは自分で自らの可能性を実現するからこそ、充実して生きていけるのだ

しかし、世の中には子供達の可能性を奪う「優しい虐待を施す親」が存在する
あなたは、次のどちらが正しいと思うか?

①子供に尽力し支配する顧慮的な気遣い

「子供を守る」「子供のために」という形で、相手の可能性を奪って支配する
ダメだと最初から決めつけて、それをやっていれば得られた「経験」や嬉しい、悲しいといった「感情」ごと奪う


例:門限を設定して子供の経験を奪う
服を買ってあげる・髪をセットしてあげる
お母さんが選んでもらった服じゃないと怖くて外に出られない
→その服いいねと言われても、自分が選んだわけではないから嬉しくない

「あなたのためにやってあげる」という形で支配する
→「ありがとう」と言わなければいけない中に支配がある
相手は確実に自分より弱いと知っているのに、自分に従属させようとしている
「権力の行使」「恐ろしい支配」

②相手に手本を示し解放する顧慮的な気遣い

手本を示すという形で他者に可能性を与える
背中で見せて「あなたなりにやってみなさい」と自由にさせる

②が正しいと感じる人が圧倒的ではないか 
しかし、今の世の中には、①の子育てをしている人が圧倒的に多い

親が引いたレールの上しか通って来なかった子供
子供が失敗しないように先回りして環境を整えてあげる親
「危ないから」「女の子なんだから」「未成年なんだから」と何でもダメと言う親

そんな「可能性を奪う親」に育てられた子供は、今まで自分で何も決めて来なかったから芯も土台も弱く、ふとした事で折れる「弱い人間」になってしまうのだ

この親と子の関係は、「アルコール依存症の共依存関係」「嗜癖的人間関係」と似ている

共依存関係 アルコール依存症の人の家族
お酒を隠したり相手の為に、と色々世話を焼くことで
結局、本人が責任を取らなくて済むようにしてしまう

奥さんがイネーブラー(共依存関係を後押しする人)になって、アル中をアル中のままにさせてしまう
嗜癖的人間関係
相手に頼られられていないと不安になる人と
人に頼ることでその人をコントロールしようとする人
の間に成立するような「依存・被依存」の関係

他者から必要とされることを必要とし、自分なしでは相手が生きていけないにしてしまう

この2つに共通していることは
「相手に頼られる自分でありたい」
「私でなければあの人を救えない」
「私無しではあの人は何もできないの」
「自分の存在意義を失いたくない」

と被依存者が考えていることだ

そして、これは優しい虐待をする母にも共通する

優しい虐待をする母には大きく分けて6パターンがある

①独裁者としての母と、従者としての娘
母親の言う通りにしないと怒ったり不機嫌になる、家事をしないなど無言の圧力をかける
しわ寄せは娘にいくので、結局母に従うざるを得ない
②殉教者としての母と、罪悪感に苛まれる娘
「あなたの為に私はずっと我慢してきたのだ」「あなたを今まで育ててやった」と自らが被害者であることを訴える
かわいそうな母と、母の人生を潰したという罪悪感から忠誠を尽くす娘
③同志としての母と、絆から離脱不能な娘
人生のレールを設定する指揮官からはじまり、娘と夢を共有した伴走者へ移行し、娘と自分を同一化する母
塾に車で送迎し、願書を取り寄せ、受験に向けての健康管理など娘と共に頑張る
娘の人生の同志としての母と、それに感謝している娘
④ポケモンマスターの母と、ポケモンの娘
自分が生きることのできなかった人生を娘を返して生きなおす
娘の達成を自分の成果とする
自分の夢を子供に実現させようとする

そして、娘の人生の喜びをかすめ取る
自身の無自覚な欲望を、娘を代理走者として満たそうとする
⑤嫉妬する母と、芽を摘まれる娘
娘の若さ、美しさに嫉妬する母親
可愛いと褒められた娘に「人の言葉を信じていけない」
可愛い服で出かけようとしたら「そんな恥ずかしい格好でよく外に出られるわね」
試験で良い点を取った娘に「いい気になるんじゃない」
と言い放つ母親
⑥スポンサーとしての母と、自立を奪われる娘
娘の不足が生じる前に金銭で、娘と娘の人生を支配する
気の利くしっかり物の母親との強固な結びつきが娘の自立を妨げてしまう
娘が、欠如している、何かが欲しい、と自覚する前に先回りして与えることで、娘の自立を損なう

「中心としての空虚な父」

では、父親は何をしているのか?

社会的システムとして、父親は家族の「中心」とされているけれど、実際は物理的にも精神的にも「父親」は中心にはいない
それが今の日本

そんな「空虚な父」には大きく分けて次の4パターンがある

①母に対する迫害者・加害者
苦しめる存在
DVや浮気で母を苦しめる
母の自己犠牲的態度と娘との同一化を強化する
②母のバイプレーヤー
母の脇役
定年退職後に会社から家庭へと降りてくる
世間の評価は良いが、家庭には無関心
③傍観者
見て見ぬふりをしたり、ぼーっと眺めている存在
家庭に居るか居ないか分からない
居ても居なくてもいい
既に家庭から除外されている存在
④逃亡者
離婚したり、蒸発したり、あまり帰って来ない
家族の問題が起きると別室に消えたり、気配を消したりする

「大事に育てること」と「依存させること」の線引きはどこにあるのか?

では、「大事に育てること」「依存させること」は何が違うのか?

「依存させること」とは、
子供が自分なしでは生きていけないようにさせたり
自分の思い通りの人間にしようとしたり
「自分が親の思い通りにならなかったら・ 良い子じゃなかったら、愛してもらえないんだ」と子供に感じさせてしまうことである

親・先生がするべきことは、「子供が自分なしでも生きていけるようにすること」

親は、「子供に失敗しないで欲しい」と考え、先回りして環境を整えてあげる
それが「子供の幸せ」に繋がると信じて...

しかし、何が失敗かなんて誰にも分からないのだ
どこからどう見るかで失敗なんて変わる

「正しさ」や価値観は人それぞれなのに、どうして正しさは1択しかないと思っているのだろうか?

正しさなんて人それぞれなんだから自分で決めればいい
だから、親が決めるものでは無いのだ
正しさは子供自身で決めていけば良いのだ



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