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ブックカバーチャレンジ in 2020

先月のゴールデンウィーク、ブックカバーチャレンジが回ってきて、7冊の本を紹介した。

facebookというクローズドなコミュニティ向けに、その人たちが普段あまり読まないであろう本を紹介した。このnoteでは取り上げないような本も取り上げているのだが、せっかくなのでこちらにもアップすることにした。

1日1冊×7日間、本のカバーの写真だけを投稿するというのもで、本の内容の紹介や書評はしないというルールなのだが、あえて「本の内容の紹介や書評はしなくてもよい」→「したければしてもよい」と解釈して、本の読みどころを紹介している。


5月1日 Day1 『こちらあみ子』 (今村夏子 ちくま文庫)

昨年(2019年)、『むらさきのスカートの女』で芥川賞を受賞した今村夏子さんのデビュー作で、筑摩書房新人賞の太宰治賞と新潮社の三島由紀夫賞を受賞した作品。

「あみ子」という子をとおして、社会生活にまったくなじまない、むしろ破壊さえする子どものエネルギーそのものを描いている。「あみ子」自身はいたって純粋で無邪気。自分の思ったことに素直に行動しているだけなのに、周囲の人々を戸惑わせ、ときに傷つけていく。その返り血を浴びるかのように、周囲の人々から疎まれ、社会から遠ざけられる。それでも「あみ子」のエネルギーは衰えることなく、どこにあってのそのパワーは炸裂している。

いいとも悪いとも好きとも嫌いともいえない不思議な世界観で、なんかモヤモヤするけど、「あみ子」に釘づけになって、ページをめくる手がとまらなかった。

新人賞受賞作って、こういうエネルギーがあるんだなーと唸った。

これを機に、大御所作家たちの新人賞受賞作品を読んでみた。もちろんそれぞれに作風は違うけど、村上春樹さんも吉本ばななさんも、おもしろいとかおもしろくないとか、そんな批評を受けつけない何かがあって、それが今でも強烈なエネルギーを放っている。


5月2日 Day2 『中空構造日本の深層』(河合隼雄 中公文庫)

こちらを読むと、今回のような非常事態において、日本の政府や中央の機関が、イマイチ機能していないことを理解するためのヒントが得られるのかもしれない。

河合隼雄さんは、日本人の心の深層を、日本神話を読み解くことで解明しようとした。日本神話の重要な節目には、三柱の神(神は「人」や「名」ではなく「柱」で数える)によるグループが3組ほど登場するが、いずれもが本来ならその中心に位置するはずの神が何の実体も持たないことに着目し、「中空構造」と名づけた。

その働きは、中心が絶対的な力を持ってコントロールするというよりは、どちらかというと、その周辺が自律的に機能するというもの。

中心が空であるということがプラスの方向に機能しているときは、絶対的な価値は存在しないので、新しいものや異質のものを受け入れやすく、周辺の自律的な力や調整力、そのバランスで成り立つことができる。

しかし、マイナスに機能したときは、求心力がないがゆえに周辺同士が依存的、癒着的になり、放射的に影響力が及ばないがゆえに、全体の統制がとれずに収集がつかないといった事態に陥る。

例えば今回、政府がマスクの配布を告知してから2ケ月以上が経過し、緊急事態宣言が解除されてもいまだに7割程度しか配布が完了していない事態は、中空構造という心象がマイナスに機能した結果だと考えられる。

中心となる機関が機能不全をおこし、目的も計画も責任の所在もあいまいなまま(中心が空の状態)配布をはじめたことで、配送の現場の努力でなんとか配布が行われている(周辺が自立的に機能している)状態といえる。我が家には、先日やっと届いた。


5月3日 Day3 『紫苑物語』(石川淳 講談社文芸文庫)

歌の家に生まれた宗頼は歌の才だけに納まりきらず、弓矢の魔道に魅せられていく。自在に動物を、人間を射るようになると、流れた血のあとに紫苑、勿忘草を植えるようにと命じる。

しだいに、宗頼のエネルギーは弓矢の魔道にも納まりきらず、邸内、領内の殺戮におよび、おびただしい数の勿忘草が植えられていく。

そしてついには、足を踏み入れてはならないとされる里に入り、助けてくれた男が彫ったという岩山のほとけを射落すことに魅せられ、引き込まれていく。

詩的なタイトルからは全く想像もしない、かなりグロテスクなストーリーなのだけれど、自分でも制御できないエネルギーをその身に宿した宗頼の孤独を、石川淳がシンプルで典雅な文体で描き出す。

本作は、昨年(2019年)、指揮者大野和士さん総監督、詩人佐々木幹郎さん脚本で、オペラとして上演された。観ることは叶わなかったが、生のエネルギーにあふれるドラマチックなストーリーが、オペラにむいていると思う。次に上演の機会があればぜひ観たい。

この作品については日を改めて取り上げてみたいと思っている。


5月4日 Day4 『神話の力』(ジョーゼフ・キャンベル、ビル・モイヤーズ)

5月4日は『スター・ウォーズ』の日。有名なセリフ“May the force be with you.”(May force = May fourth = 5月4日)に因んでいるという。

神話学者のジョーゼフ・キャンベルの研究を下敷きに、ジョージ・ルーカスは『スター・ウォーズ』を構想したというのは、有名な話しだ。

この本は、そのジョーゼフ・キャンベルとジャーナリストのビル・モイヤーズとの対談形式で行われた番組が書籍化されたもの。本書の解説によると、この対談がまさにジョージ・ルーカスの総本山、ルーカスフィルム本社がある広大な土地、スカイウォーカー・ランチで行われたという。

私は子供の頃、実は本や読書はそれほど好きではなかった。特に学校の課題図書的な本が嫌いで、エジソンとかキュリー夫人とか徳川家康とか偉人たちを扱った本を読むと頭痛がした。

唯一、読むことができたのが、子供向けのギリシャ神話の本だった。基本的には一度読んだ本は何度も読まない質なのだが、読む本がないなあと思うと、地元の図書館で何度も借りていた。

今思うと内容を理解していたとは言い難いけれど、神話特有の荒唐無稽な話しに、人間世界の真実があることを無意識のうちに感じていたのかもしれない。

それはその後の古典好きにつながり、神話的な匂いが感じられるものを好んで読んだり扱ったりしていることは、現在にもつながっている。

神話や昔話にはさまざまな文化に共通する話の型やテーマ、題材がある。それは、ユング的にいえば、人類の集合的無意識にある時代や空間を超えた普遍的な“物語”ということになる。

『スター・ウォーズ』が多くの国や地域で受け入れられているのは、神話を象ることによって、人の無意識にある“物語”を刺激し呼び起こしているからではないだろうか。

Day2で紹介した『中空構造日本の深層』と併せて読んでみると、神話について見えてくるものがあると思う。


5月5日 Day5 『井上陽水英訳詞集』(ロバートキャンベル 講談社)

Day5からのキャンベルさん続き…というわけではないのだけれど…。

テレビ番組のコメンテーターとしても活躍のロバートキャンベルさん。本業は、日本の近世・近代(江戸、明治時代)の文学研究で、現在、国文学資料館の館長を務めている。

そんなキャンベルさんが、数年前、大病を患い入院した際、井上陽水さんの曲を、母語である英語に訳そうと思いつく。井上陽水さんの曲は、1980年代後半、キャンベルさんが赴任先の福岡での慣れない生活の中で聴いていた曲で、死を意識した入院先の病院で天井をみつめていると、陽水さんの曲が再び浮かんできたという。

私は最初この本を、日本語から英語にする際の、主語をどう補ったかとか、単数、複数をどう訳したかといった、いわゆる翻訳上のHow toが書かれているものと思って読み始めた。

でも実際には、陽水さんとの対話を通じて、キャンベルさん自身の人生を通じて、詞とどう向き合い、どう解釈したのかということに多くのページが割かれていた。

そのことにちょっとした驚きを感じたのと同時に、当たり前のことだけれども、翻訳とは言語を別の言語に置き換える作業ではなく、その人がその詞を、その本をどう読んだかという軌跡なのだと思った。

折り紙のオブジェを一折り一折りそっとほどき、一織り一織りまた丁寧に織り上げていくキャンベルさんの読みと文章が心地いい。一気に読んでしまうのがもったいなくて、一晩一項ずつ、一晩一詞ずつ読み進めた。

「いっそセレナーデ」「飾りじゃないのよ 涙は」「帰れない二人」など、皆さんの中にある陽水さんの思い出の曲が、英語ではどんなふうに表現されているのか、ぜひ読んでみて欲しい。


5月6日 Day6 & Day7 『カモメに飛ぶことを教えた猫』(ルイス・セプルベダ 白水社) 『次女の物語』(マーガレット・アトウッド ハヤカワepi文庫)

5月6日は連休最後の日だったので、Day6とDay7の分をまとめてアップした。というより、2冊を一緒に紹介することによって、より良い社会、世界を実現するための何らかのメッセージが受け取れると信じて。

『カモメに飛ぶことを教えた猫』は、昨年(2019年)から劇団四季のファミリーミュージカルにもなった。作者のルイス・セプルベダさんは、今回の世界的な感染症によってスペインで亡くなった。心からお悔やみを申し上げる。

黒猫のゾルバは、瀕死のカモメに3つの約束をさせられる。これから産む卵を食べないこと、卵の面倒をみること、生まれた雛に空を飛ぶことを教えること。ゾルバは街中の猫仲間の力を借りて、3つの約束を守ろうと奮闘する。

猫たちとカモメは「異なるもの同士」ではあるけれど、心通わせて雛の成長と空を飛ぶことの実現に力を合わせる。そして何かを成し遂げようとするとき、知識や経験も大切だけれど、それが成し遂げられると心の底から望んで信じることが大切だという。

一方、『次女の物語』は、ノーベル文学賞の呼び声も高いカナダの作家マーガレット・アトウッドが今から40年前くらいに書いたディストピア小説だが、先年huluのドラマ化で注目された。

21世紀前半のアメリカ。キリスト教原理主義者が起こしたクーデターによって樹立した政権は、いちじるしく低下した出生率を高めようと、女性の仕事と財産を没収し、妊娠可能な女性を「侍女」としてエリート層の男性の家に派遣する。

女たちは出産の道具とされ「国家資源」として管理される。不都合な人間を排除、抹殺するための監視と密告で成り立つ、暗澹たる近未来社会を描いている。クーデター前の世界で科学者や医療従事者だったものたちが拷問され、その死体が街角に晒されているシーンは目を背けたくなる。

この全く異なる2つの物語を並べてみることによって、どちらの世界を未来に残していきたいか、私たち自身が今、心に問うための縁(よすが)とすることができるのではないか。

もちろん、私も含めて多くの人は『カモメに飛ぶことを教えた猫』の世界を残したいというだろう。しかし、異なるもの同士が心通わせて互いの成長や夢の実現に力を合わせることは、口でいうほどたやすいことではない。相応の努力が必要であることは身にしみて理解していながら、そのような世界の実現はまだ途上にある。

一方、私たちは無意識の快不快にしたがって行動していると、『次女の物語』の世界をたやすく招き寄せてしまう。

どちらを実現させ、どちらを実現させないかを意識して、自身の行動を律し努力していくと自分自身に強く言い聞かせて、7日間のチャレンジを終了したいと思う。



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