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“語り”だからこその真実がある

風も爽やかな季節のGW。

関西、関東の都心部では昨年に続いて、緊急事態宣言によって外出もままならない。また、仕事の内容や状況によっては、休みがとれない方、普段の週と変わらないという方もいると思う。

それでもこの1週間、ほんの少しでも日常のあれこれを忘れ、自分と向き合う時間を持ってもらえたらとの思いから、5月5日のGW最終日まで、いくつかの本を紹介していく。※

Day2 『影の現象学』(河合隼雄 講談社学術文庫)はこちらから

* * *

Day3 『ギケイキ:千年の流転』(町田康 河出文庫)


タイトルの『ギケイキ』と冒頭の次の文を読んで、「私」とは誰のことか少し考えてほしい。

 かつてハルク・ホーガンという人気レスラーが居たが私など、その名を聞くたびにハルク判官(ほうがん)と瞬間的に頭の中で変換してしまう。
『ギケイキ:千年の流転』(町田康 河出文庫 2018年 7ページ)



お分かりになっただろうか?

「判官贔屓(ほうがんびいき)」という言葉を聞いたことがあるだろう。物語のストーリー上、弱い悲運の立場にあるものに読み手の同情が集まる現象のことだ。これは、『平家物語』や『源平盛衰記』などの軍記物語や後代の創作で、兄源頼朝に追われて奥州へ逃げていく弟義経に、物語の語り手や書き手あるいは聞き手や読み手が同情を寄せたことことに拠る言葉だ。

そう、『ギケイキ』とは室町時代に著された源義経の一代記『義経記』のことだ。それを作家町田康さんが小説として再現したもので、現代に漂っているらしい義経の魂が、千年さかのぼって自分の過去をパンクにロックに?語るというストーリー。

どういうわけか、私の母は歌舞伎でお馴染みの「勧進帳」が好きで、よく私と弟に語って聞かせた。ちなみに「勧進帳」とは、義経一行が奥州へ逃げ延びる途中、安宅の関で、兄頼朝方の検問官の厳しい詮議から逃れるために、焼失した東大寺再建の寄付を募る勧進の山伏一行になりすまし、家来弁慶が主人義経を折檻して一芝居打つという話し。それを芝居と見抜きながらも、主人を助けたい一心で主人を折檻しなければならなかった弁慶の胸中を察した検問官は、一行を見逃す。

母は、ときに声色を使い、ときに涙ながらに勧進帳(寄進者の名前が記載されている巻物、しかし実際には何も書かれていない)を読み上げるところ、弁慶が義経を折檻するところ、検問官が弁慶の胸中を察すところを語った。私にとっては、琵琶法師もこれほどではあるまいというほどの語りだった。

義経のことを「九郎判官義経(くろうほうがんよしつね)」と名乗ると、弟が「出た!ハルク・ホーガン」と合いの手を入れた。は?ダジャレ?歴史ものにプロレスラーの名前って何?と怪訝そうな顔をしている私の横で、弟はこの名前が出てくるのを、毎回楽しみしていた。

この冒頭はまさにそれを彷彿とさせるもので、一気に鷲掴みにされた。文庫本にして400ページ、義経の疾風怒涛のヤンキー風な語り口につられて、4時間ほどで読み終わってしまった。近年、年齢のせいか、目の調子が悪くて、本を読むスピードもずいぶん落ちていたのだが、これはそれも感じないほどだった。

ことあるごとに都会的な洗練されたファッションや教養にこだわる義経、高貴な出自にもかかわらず、醜い容貌ゆえに親からも社会からも見放された問題児の武蔵坊弁慶、育った環境が違いすぎてまったく言葉が通じない従兄弟木曽義仲、愚か者の家臣にいつも悩まされている兄頼朝など、古典や歴史の教科書からはイメージしにくい世界や登場人物の人柄が、現代的な(ヤンキー風な)語り口によって鮮やかに立ち上がってくる。

もちろん原作の『義経記』そのものが史実というよりはフィクションであり、『ギケイキ』はさらにそこからのフィクションではあるのだけれど、語り部たちが語りたい、語らなければならないと思い語ったことの中にこそ、史実とはまた違った真実があるという気にさせられる。

たとえば、『平家物語』などでは、それぞれの武士がどんな身支度で戦さに赴いたかが詳細に語られている。なんでそんな必要があるんだろう?と私は長年疑問に思っていた。キャラクターをイメージさせる味付けなのかしら?くらいにしか思っていなかったのだが、この『ギケイキ』で、自分がなぜそれほどまでにファッションにこだわるかを、義経は次のように説明している。

・・・前略・・・準備をしていてもっとも気を遣ったのは出掛ける際のファッションだった。
 京都が長い私の父が若い頃、関東に拠点を築くことができたのは、もちろん武芸や気合い、といった要素も大きいが、多分にファッションによるところも大きい、と私は分析していた。
・・・中略・・・
 そんなことで地方の有力者は華やかな生活を渇仰し、また、そうした生活を送る中央貴族に複雑な感情を抱くようになったが、彼らを間近に見ることがあれば、これに接近・接触したいという衝動を抑えることはできなかった。
・・・中略・・・
 そして人間はなんといっても見た目に左右される。吉次が私に目をつけたのもきっかけはファッション。ということはやはりファッションというものが大事になってくる。
同(49〜50ページ)


父とは平治の乱で敗れた源義朝であり、吉次とは奥州の覇者藤原秀衡のところまで義経を連れていった商人だ。

当時は、中央の権力者、有力者であることの証が洗練されたファッションであり、それは人を動かす手段だった。自分に力がある、付き合って何かしらのメリットがあることをファッションで見せられなければ、協力や共闘を得られず、場合によっては死を意味したのだろう。

『源氏物語』の光源氏が、しっかりした後ろ盾のない出自ながらもあそこまで出世したのは、光り輝くような容姿と才覚で人々を魅了し、味方にすることができたからということを思えば、この義経の説明にも納得がいく。戦さに赴く武士たちの身支度も、死装束である前に、自分の力を誇示していかに相手の戦闘意欲を削ぐかを考え抜いた、生きるための戦略だったのかもしれない。

実際に義経がそんなことを語っているわけではないが、そのようにして生きてきた(と思わせる)義経の“語り” だからこそ、読み手や聞き手の腹にすっと落ちる。史実とはまた違った真実とはこういうことなのではないか。

そして義経の洗練されたファッションや美しい容貌の対角にあったのが、弁慶ということになる。弁慶は醜い容貌ゆえに親からも社会からも爪弾きにされ、そんな自分を持て余していたのだが、義経と出会い、義経の唯一無二の家臣として生きていくことになる。

『平家物語』や『源平盛衰記』では、あまり語られることがない義経、弁慶の生い立ちや二人の出会いが詳細に語られているのも、本書の魅力の一つ。光と影、表裏一体のデコボココンビが、この後の『ギケイキ2:奈落への飛翔』でどのように語られるのか、楽しみにしたい。



Day4 『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』 (佐藤由美子 ポプラ社)はこちらから


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