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庄野雄治さんの古びない言葉たちを届けたいー『融合しないブレンド』ができるまでー

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 徳島のコーヒー豆店、アアルトコーヒーの庄野雄治さんと初めて一緒に本を作ったのは2010年、アアルトコーヒーが開店してまだ4年目だった。コーヒーロースターとしてまだ実績もなかった庄野さんの本を作ろうと思ったのは、何度か腹を割って話してみて、その言葉を信じられると思ったからだ。
 今や大人気コーヒー豆店になっているが、当時アアルトコーヒーの名を知っている人はほとんどいなかった。正直、今ほどコーヒーも美味しくはなかったけれど、コーヒーに対する静かな熱情と、それを文章で伝えたいといという想いは本物だと思えたのだ。本書『融合しないブレンド』中の庄野さんの言葉を借りれば、期待はしないけれど、信用することができると思ったのだった。
 初めての本『たぶん彼女は豆を挽く』は発売当初、さほど売れなかったのだけれど、じわじわと売り上げを伸ばしていき、文庫サイズの新装版として現在も売れ続けるロングセラーとなっている。

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 その後、庄野さんと何冊もの本を作った。その中で好評の声を直接いただくことが多いのが、2015年に発売した随筆集『誰もいない場所を探している』。コーヒー業界が冬の時代に、何の経験もないまま徳島でコーヒー屋を始めた庄野さんが、楽しく幸せに暮らしていくために実践していることを綴った本だ。地方でお店を始めたい普通の人に読んでもらいたいと出したのだが、これも発売当初はなかなか思うようには売れず、しばらく苦戦していた。
 しかし発売から1年が経った頃からじわじわと動き始めた。ビジネス書のような具体的なことは書かれていないし、いわゆる一般的な随筆集とも違う。コーヒーについての情報も書かれていない。ジャンル分けできない内容だったので、この本の意図が理解されるまでに時間がかかったのだと思うけれど、庄野さんの言葉に共感した皆さんからの嬉しい声が徐々に届き始めた。そして実際に、この本を読んだことがきっかけで、自身のお店を始めたり、会社を辞めて事業を始めたという方から感謝のメールなどをいくつもいただいた。

 発売から5年目、世はコロナ禍の真っ最中。そんな時にどういうわけか『誰もいない場所を探している』がまたじわじわと売れ始めた。なにか宣伝をしたわけでもないので、どうしてここに来て再び売れているのかが不思議でならなかった。アアルトコーヒーにも、本書を読んでコーヒーを買いに来たり、通信販売で注文する方が急に増えたそうだ。
 何か大きな起因があったのではなく、庄野さんの紡いだい文章が流行に関係なくいつの時代も響くものだったからだろう。コロナ禍のような自分を見失いそうな時勢にこそ、庄野さんの言葉は必要だったのだ。久しぶりに『誰もいない場所を探している』を読み直しそう思った。そして、今また売れていることが納得できた。

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 コロナ感染数が少しだけ落ち着いていた2021年の秋、私は久しぶりに東京を出て徳島に向かった。混沌としている今こそ、再び庄野さんの言葉が必要なのではないだろうか。そう考えた私は、久しぶりに随筆を書いて欲しいと直接庄野さんに伝えるため、徳島に行くことにした。メールや電話でもよかったのだけれど、直接お願いしたいと思ったのだ。事前に詳しい話はしないで「ちょっとお願いごとがあるんで、徳島に行ってもいいですか」とだけメールした。
 約2年ぶりに庄野さんと再会し、いつものようにダラダラとした雑談から始まり、その流れのまま「随筆集を出して欲しいんです」とだけ伝えた。コロナ禍中に『誰もいない場所を探している』が売れてるのは、今こそ庄野さんの言葉を必要としているからではないだろうか。少し前に電話で私がそんな話をしていたのを覚えていたのだろう、その申し出に「ぜひ書かせてください。どんな内容にしましょうか」と快諾してくれた。

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 そんな経緯を経て、本書『融合しないブレンド』の制作が始まった。今までの本はいろいろな方の力をお借りして作ってきたけれど、今回は庄野さんと私の2人だけでガッツリ組んで作ることにした。文章だけでなくカバーや本文中の写真も全て庄野さんが撮影し、ごく簡素な作りながらとても読みやすく、いつの時代の本だかわからない装釘にしようとまとまった。
 そして肝心の内容。前作『誰もいない場所を探している』は、庄野さんがコーヒーロースターとしての仕事で実践してきたあれこれを書いてもらったが、同じものでは意味がない。コーヒーから多少外れてしまってもいいので、ずっと変わらずに真剣に考え続けていることを、真正面から真摯に書いて欲しいとお願いした。偶然にも、次に本を出すのならそういうものを書きたいと、庄野さんも同じことを考えていたようで、即座に文章の方向も決まった。
 それから約半年間、本業の焙煎がとても忙しいにもかかわらず、休日を潰して毎週1本の随筆を書き上げてくれた。休日を執筆にあててくれたので、おそらく半年間はほぼ無休だったのではないだろうか。こうして完全書き下ろしによる22作の随筆と、1作の掌編小説を収録した『融合しないブレンド』が完成した。前述の通り、カバーと本文中の美しい写真も、全て庄野さんが撮影したものだ。
 『融合しないブレンド』というタイトルは、庄野さんが最初に送ってくれた随筆から名づけた。一見、全くもって矛盾している題名だ。融合とは、複数のものがとけあって一体になること。ブレンドとはブレンドコーヒーのこと。調和のとれた味を作るのがブレンドコーヒーの要だけれど、それだけではない大切なことがある。庄野さんがコーヒーの焙煎をしながら真剣に考えている様々な事柄には、私たちが日々を生きていく中でつい忘れがちになってしまう、大切なことがサラリと記されている。この題名の理由は、ぜひ本書を読んで欲しい。
 私はいわゆるビジネス書や自己啓発本があまり得意ではない。それは、こうしなければいけないという著者の思考を押しつけられているような気がしてしまうからだ。そういう本が好きな人からしたら、庄野さんの文章には情報がない、具体的な事例が書かれていないと思うことだろう。
 けれど、私は庄野さんの言葉がとても心に響く。それは、人の生き方にはこれが正しいという解答はないことを、物語を読むように、自然と伝えてくれるからだ。
 この本を読み終わった時に、得るものがないと思う人もいるだろうけれど、それとは真逆で、たくさんのものを得たと思う人もたくさんいるはずだ。手取り足取りこうしなさいということはひとつも書かれていない。けれど、生きていく上で本当に大切なことが、その言葉の端々にたくさん詰まっている。
 じっくり時間をかけてでも、それが伝わる人たちに、この本に記された古びない言葉たちをしっかり届けていきたい。

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