遠い過去よりまだ見ぬ人生は
まる3日くらい、泣いていた気がする。
よりによって、本番で、本番だけで、どうしてこうなってしまったんだろう。
夕方。今日ももう夕方だった。
まともに通常の高校生活が行われていた頃は、まだ監獄のような教室にパッキングされていた時間帯。
自宅のこたつでぬくぬくと過ごしている自分を何度も想像しては、暖房が効いているわりには常に冷えを訴えてくる足元と、心臓を刺すような教師のチョークの音だけが響き渡る静寂になんとか耐えようと試みていた、あの時間帯。
こうして私は、夢にまで見たこたつでぬくぬくを実現させているのだが、こうやって丸まって丸1日を過ごすこと、はや3日。
二次試験はもう1ヶ月後だというのに、私はぐるぐると、ほんの、ほんのちょっと前の過去の世界と今とを行ったり来たりしては、机の上の青チャートを開く気すら起きなかった。
「在りし日の己を愛するために 想い出は美しくあるのさ」
当時再放送されていたドラマの主題歌が、私の聴覚を刺激する。
こんな情けない自分も愛せるように、この数日間もいつかは、懐かしい輝きなど放つ想い出と化すのであろうか。
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センター試験が終わった。
その日から、私の中の時計は、秒針すら動いていなかったのだった。
マスに答えが合わない。
何度計算し直しても、どこで間違えているかがわからない。
もうこの問題は飛ばして、次を考えよう……
あれ、やっぱり気になる…… 全然集中できない……
もう一回計算してみよう…… あっ、やっぱり合わない…… もう間に合わない、次の大問に進んで、最低限のところまで解かないと……
コタツでまどろむたび、何度も何度も、同じ場面が繰り返される。
数IAの試験。
迫るタイムリミット。
合わない計算。
目が覚める。
虚無。
結果はもう変わらない。
ドラマの再放送のエンディングが聞こえる。
この再放送ドラマの主人公のように、あの瞬間にワープできればいいのに。
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毎年この時期になると、いつもこの光景を思い出す。
そして、今年もどこかから、同じような思いを抱えて立ち直れずにいる受験生の、声なき声を聞く気がする。
この国の多くの入試は、「本番一発勝負」だ。
非常に平等であり、同時に不条理。
「頑張ってきた過程が大事」と、努力をこれほどまでに賞賛する(べきだとされる)世の中でありながら、これほどまでに残酷なものはないと思う。
結局あの時、コタツの中でうずくまる私を目覚めさせてくれたのは、母だった
「いつまでそうしてるの?」
いつもは穏やかな母、最初はずっと私を励まし続けてくれた母は、3日目の夕方、いつになっても伏せっている私を、声を荒げて起こしてくれた。
一つひとつ、目の前にあることを積み上げていくしかない。月並みな言葉だけれど、結果が変わらないのは事実なのだから。
いい加減受け入れようと思った。でも、淡々と受け入れるのはあまりにつらかったから、だから、こんな、あまりにも理不尽な世の中に対抗するため、私はひとつのマイルールをつくった。
「与えられる結果は、すべて自分にとって必要なメッセージだ」
と捉えることにしたのだ。
ただし、このルールそのメッセージを受け取れるのは、「そのとき自分にできる最大限の思考と努力をした場合」のみ。
私は受験校を決めるとき、たまたま自分の勉強したいことが地元の大学にあり、成績も身の丈に合っていたため、迷わずそこを選択した。
もう一つ、自分の興味のある分野を学べる大学があったが、それは別の地域にある大学で、偏差値もさらに6〜7上だったため、結局すぐに選択肢から消したのだが、難しい方の志望校を選ばなかったからといって、自分なりに努力は怠らなかった。
「いつ足元を掬われるかわからないのだから」「いつ追い抜かれるかわからないのだから」と、片時も油断した瞬間などなかった。
しかし、易化したと言われるその年のセンター試験で、私は大失敗をしてしまい、かなりギリギリのラインに立たされてしまったのだった。
だから、今回もしこのまま受験して失敗したら、浪人させてもらって、次の年は難しい方の大学を受けようと覚悟を決めた(実際、他の大学は受験していなかったので、不合格だったら浪人しか選択肢はなかった)。
“もし、自分にとって今年この大学に進むのが必要なことだったら、きちんと今年合格するはずだ
でも、私の人生に必要なのはもう一つの大学に行く道なんだったら、この大学には縁はないんだろうから、きっと今年は落ちるはずだ”
そう思おうとした。
すると、不思議と自然にそう思えた。
でも、そうできたのは、それまでそれ相応の努力をしてきたという自信があったからだ。
そして、受験当日もそう思えるように、今できるただ一つのことは、二次試験の勉強に全力を尽くすことだと思った。
志望校の教室。
時計の針の音を聞きながら試験開始の合図を待つ静寂。その瞬間の緊張を和らげてくれる唯一の光は、
「頑張ってきた自分の軌跡」だけ。
思えば寂しい高校時代だった。
一度しかない青春時代。
器用に生きられない自分は、たくさんの楽しみを我慢して、ほとんど勉強しかしてこなかった。
いい思い出なんてほとんど無い。
だけど、今こんな風に思えるのは、3年間自分が頑張ってきたからで、全部我慢してきたから「頑張った」って胸を張って言えるわけで、
もちろん、まさかこんなセンター試験になるなんて思ってなかったけど、それでも結局今こうして自分の努力に救われてて。
だから、未来の自分を救えるのは、きっと今の自分だけだ。
その夜は、びっくりするほどよく眠れた。
もう、数学の問題で脂汗をかく夢は見なかった。
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それから1ヶ月間、私はできる限りのことをした
見ていた再放送ドラマの主人公は、結局、過去に戻っても現在を変えられなかった。
これからの人生を変えるには、今動くしかないのだ。
もう学校での通常授業はなく、自分の受験する大学の講座のみ通えば良いことになっていたから、空き時間は図書室でひたすら青チャートを解いて、昼までで講座が終わる日も、家に帰るなりすぐ机についた。
休憩時間、図書室から眺める、見慣れた北校舎。
真昼間に家に帰る、なんともいえない清々しい背徳感。
一つひとつの、虚無感の中に佇む感情が、空っぽのまま終わる青春への別れの挨拶だった。
ここには何にも無かったけれど、頑張った自分が居たことだけは、自分が絶対に忘れないでいようと思った。
まだ、自分のことは好きにはなれないけれど。
それが、架空の憧れのまま消えていった、一度しかない青春時代への弔い。
特に何の感情もわかなかった卒業式、でもやけにあの日の「仰げば尊し」のメロディーが耳に残るのは、今思えばレクイエムのように聞こえていたからかもしれない。
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3月8日、私は、合格掲示板に自分の番号を見つけた。
午前11時の発表を前に、早鐘のように鳴る心臓とは裏腹に、そのまた奥底の私の心は穏やかだった。
心の深部に海があったとしたら、きっと凪いでいただろう。
結果をそのまま受け取ろう。
下される判断は、どうあろうとも、自分の努力への賞賛。未来へのガイダンス。
それを受け取る資格が、自分にはある、と。
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あの日、もう一つの結果が与えられていたら、いま私はこの地に居ないかもしれないし、やっぱり居るかもしれない。
今と全然違う私かもしれないし、やっぱりほとんど同じ私かもしれない。
どんな風に生きていたんだろう、と思うこともある。
だけど、妥協せず体当たりで受け取りに行った結果だから、きっと選ばれた方の道が、自分にとって最良の道だったんだと思う。
そう信じることができる。
だから、そういう意味で、努力は絶対に人を裏切らないと信じている。
たとえ、最も望む形で結果が与えられなかったとしても、そういう意味では「報われなかった」とその時は思ってしまったにしても、
ホンモノの努力をしてきたのなら、与えられたものがきっと最良の選択肢だと私は信じたい。
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あれから10年以上が経った。
空虚な別れを告げた卒業式も、
ぐしゃぐしゃに泣いていたコタツでの夕方も、
いつまでも終わったことを嘆きながら起きていた辛い夜も、
空っぽの高校生活も、
脂汗をかいたセンター試験の数学の60分でさえも、
全てが、思い出すだけでなぜか愛おしくて、ちょっと涙が出てきてしまう。
「在りし日の己を愛するために 想い出は美しくあるのさ」
歌詞は、これからこう続いている。
「遠い過去よりまだ見ぬ人生は 夢ひとつ叶えるためにある」
この時期になると必ず思い出してしまうあの頃。
今同じような世界でもがく受験生の救いに少しでもなれればと、「遠い過去」に想いを馳せると同時に、もう「若い」と言われる歳ではなくなった2022年の私も、未来の夢について、考えてみたりもする今日この頃。
……プロポーズ大作戦、久しぶりに見てみようかな。
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