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わたしたちはまだ「途中」にいることを思い出すのだ

わたしも人間なので、毎日感情がジェットコースターのようにぐるぐるしている。

最近はフツーに起きて、フツーに仕事して、フツーに友だちと遊んで、と変わりなく過ごしているけれど、そのなかでさり気なく自分に絶望することはもちろんある。

たとえば、まわりの友だちが新しいチャレンジをしていたり、ライフステージを変化させているのを目の当たりにしたときなんかは、「あれ、もしかしてわたし、遅れてる?」と歩みの遅さに不安になる。

シゴデキな人の仕事っぷりを見ながら、相も変わらずワタワタと準備している自分にふと我に返り、「本当にあのとき、会社を辞めてよかったのかな?」と眠れなくなる夜もある。

でも、そんなときに思い起こすのは、選択肢は、選んだ時点では「正解」ではないし、それは未来で「正解」にしていけば何とかなるということだ。

いま、わたしはぽっと出のライターとしては、そこそこ実績を重ね、本も数冊出して、スクールも運営していて、側から見るとすごく成功しているように見える。

「フリーランスになってよかったね」
「この人はライターになったから成功したんだね」

そんなふうに思われることもきっとあるだろう。

でも、たとえばわたしが明日、自己破産に陥ったとしたらどうだろう。

「フリーランスにならなきゃよかったのに」なんて言われるはずである。

つまるところ、その人が成功したか、よい人生を歩めていたかなんて、今の時点ではわからないのだ。極論、死ぬまではわからない。

どんなに立派な功績を残した人も、死ぬ間際に何か犯罪を犯したとしたら、すべてがそれで塗り替えられてしまう。

逆に、ろくでもない人生を送ってきたけど、最後の最後で巻き返す人もいるかもしれない。

大事なのは、わたしたちはまだまだ人生の途中にいるということ。

今現在、人生に絶望しているのなら、絶望のままおわらせることもできるし、逆に人生が続く限りはいくらでも覆せるということ。

わたしは未だに自分が選んだ、この「フリーランス」「ライター」という選択肢が正しかったのかわからないし、たびたび絶望することだってある。

でも、「正解」にしたいからがんばりたい。

絶望するには、人生はそこそこ長い。みんな、あと80年ぐらい生きてしまう気がする。

それなのに、「ダメダメな人生だなぁ」「自分は生きる価値のない人間だなぁ」と決めつけるにはちょっと早すぎるんじゃないか。

ごめん、まだ1、2章しか読んでないからわからんのよ。もうちょっと書いてみてほしい。

私、「人生終わるときに、どれだけ笑って語れる物語があるか」。

これが一番の「勝ち人生」じゃないかなと思うんですよ。

ってさゆりちゃんも言ってたよ。

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