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クリエイターになる1番簡単で確実な方法

本を読むのが好きだった。

文字を読めないうちから毎晩1冊母に本を読み聞かせしてもらい眠りについた。

幼稚園のときは、本棚の前を陣取り黙々と本を読み続けるわたしを見て、「友だちがいないんじゃないか」と母が心配して家に友だちを呼んだ。それでもわたしは本にかじりついた。(今考えるととんでもなくKYだけど)

小学校の休み時間は校庭に駆けていく友だちを横目に本を開き、熱を出すと本がたくさん読めると喜んで枕元に本を並べた。

自分を知らない場所に連れていってくれる本が大好きだった。

ただ、自分にしてみればただ目を通しているだけだけど、本を読み続けていると、次第に本の作り方がわかってくる。

要するに、文章の書き方がわかってくるのだ。

だから、作文も、小説も、詩も、ブログも、誰に習うこともなく最初からなんとなく書けた。

こう書けばうまくまとまることも、こういう言葉選びをすればまあるい雰囲気が作れることも、引き出しから持ってくることができた。

ただ、好きなだけで、できたのだ。


同じように、写真もカメラを持ったその日から、撮ることができたし、加工をすることができた。

それは、写真を見るのが好きだったからだ。

写真を見るのが好きだったから、どんな色味に調整したら自分の好きな写真になるのか、どんな瞬間が撮れたら良さそうなのかがなんとなくわかる。

それも、ただ好きなだけで、できたのだ。


好きでいることと、できることはちょっと違うのかもしれない。でも、「見よう見まね」という言葉があるように、好きならば、めちゃくちゃ見ているはずなのである。

「見る」というのは、ただの意味のない行為かもしれないが、そこに愛があれば、「見つめる」ことになる。そうすると多分、「記憶」する。

記憶すれば、それを行動に転用することも不可能じゃないはずだ。

センスはどうやって磨くのか、という質問をもらったことがある。

わたしは、「見つめる」ことなんじゃないかと思っている。

見つめていれば、知識がつく。

見つめていれば、仕組みがわかる。

見つめていれば、やり方がわかる。

だからもし、あなたに好きで好きでどうしようもないものがあるならば、多分もうできると思う。

「作り手」と「受け手」の違い。それは、実際にやるかどうかだけなのだと思う。

もちろん、見ているのが楽しい人は受け手で良いと思う。作品は観られないと作品にならない。


ただ、もしあなたがクリエイターになりたいのなら、勇気を出してやってみてほしい。


愛してやまないものの作り方は、あなたが1番よく知っているはずだ。

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